第九章 今世真理子
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「お先に」
私は、短く言った言葉が相手に届く前に更衣室を出た。
仕事終わりの騒がしい一時。逃げるように帰途につく私を引き留める人はいなかった。ただ、陸道香奈だけが、何とも言えない視線を私に向けていた。
先月のあの日、私を呼び出したきり、陸道香奈は何も言ってこなかった。今も私をちらりと見ていたが、声すらかけてこない。もう私を呼び出すこともなく、黙々と仕事をこなす普段通りの彼女に戻っていた。私とノリのいいお喋りをする陸道香奈なんて、幻だったのではないかと思うほど。
河渡キリエの口止めに従っているのか、既に私への用件は済んでしまったのか、それもわからない。一つ確かなことは、元通り陸道さんが業務連絡以外に私に話しかけることはなくなったということだ。そして、河渡キリエも私に対して何も明言しなかった。
そんな二人の態度に、私は一人取り残された思いをしながら、淡々と毎日を過ごしていた。
時だけが無情に過ぎていく。一日たったかと思えば、すぐに一週間が過ぎ、いつの間にかカレンダーをめくっている。家出少女の九段坂恋歌が私の前から姿を消して、もう二ヶ月はたつのに、何の音沙汰もなかった。
無事に両親の元に帰って、問題なく暮らしていればいいんだけど。
私にはそれを確かめる術もない。今のように通勤電車に乗る度に、私は寂しさを思い出してしまう。電車に揺られる時間は『帰って恋歌に何を話そう』そんなことばかり考えていた。しかし、恋歌のいなくなった今、私にすることはない。
私は今、何を考えればいいのだろう? 明日の予定? 将来の人生設計? そんなこと、どうでもいい……。
私の思考など関係なしに、時間になれば電車は駅に着いてしまう。
ホームに降り立てば、耳をつんざく風が吹いていた。十一月ももう下旬。気がつけば木枯らしの季節になっていた。
夜風に身を切られるような駅のプラットホーム。私はどんよりとした雲に遮られた空を見上げる。月も星も見えない夜の空。なんだか私の心みたいだった。
「コート出さないとやばいかな……」
そう呟いた私は目を細めた。秋という季節がいつの間にか終わっていた。
この秋、私は何してたのかな? 仕事には行っていたのは間違いない。今のその帰りだ。なのにその実感がない。生きているという実感がない。元より希薄な私の人生が、輪をかけて意味を失っていた。
ざわざわと人の流れが私を取り残していく。さっと人気が引いていったプラットホームの情景に私は息を飲んだ。
どこかで見た情景が私の目に飛び込んでくる。
私は思い出してしまったのだ。去年のクリスマスイブ、このホームで死んだ九段坂恋歌に会ったことを。
それがすべての始まりだったと思う。私が九段坂恋歌に会って、翌日彼女が死んだ。そして同じ名前を名乗る家出少女が現れた。それは偶然とは思えない。すべてこのホームで九段坂恋歌に会ったのが始まり。そう確信出来る。
「恋歌……」
唇を噛みしめた私は、囚われている何かを振り払うかのように首を振る。
どうして九段坂恋歌は私の元に現れたのか、どうして私の前から姿を消したのか。そんな疑問が私につきまとい、頭を過ぎる度に私の胸は張り裂けそうになる。
「あは? どこかで見た顔だ」
急に、何やら素っ頓狂な声がした。
私の鼓動が跳ね上がる。私の体が反射的に身構えた。その声の方に振り返ると、確かにどこかで見た顔がある。
それはまるで既視感だ。
冬の駅ホーム。何年ぶりの再会。もう一生会うことがなかったかもしれないのに、偶然と呼ぶには奇妙な出会い。必然と呼ぶには謎めいた巡り合わせ。
そこにいたのは今世真理子(いませ・まりこ)。高校のクラスメイトだ。そう、死んだ九段坂恋歌と同じ。昔に別れて、もう会うこともないと思っていた同級生。
「……久しぶり」
九段坂恋歌と再会したときと同じ言葉が出た。反射的な一言。私は言ってしまってからひどく後悔した。
確かに九段坂恋歌との再会を思い出される似たような出来事だったが、そこまで同じにする必要はない。それでは九段坂恋歌が可哀想な気がした。既に死んでいない九段坂恋歌へのたむけとして、その再会の思い出をとしておけばよかったのに、他の人にも同じ再会をしてしまっては九段坂恋歌が唯一ではなくなる。他の人と同じ、その他大勢の一人に九段坂恋歌がなってしまった。
そんな意味もない感傷が頭に過ぎる。しかしだ。
「あんた、誰だっけ?」
次に今世さんの口から漏れた言葉はあんまりのものだった。
自分から声をかけておいて、「誰だっけ」なんて、あまりにひどすぎる。なのに彼女に悪びた様子はまったくない。むしろ、手に持った携帯電話をちらちら見て、そんなこと気にしていなかった。
「私が……、わからないの?」
「見たことあるんだよね。どっかのバイト先の人だっけ?」
高校の同級生だろっ! 適当なこと言うな!
心中の苛立ちを抑えて、今世真理子が私のことを思い出すかと、しばらく待ってみたが、彼女は忙しなく携帯を操作するばかりで私と話をしている自覚がないと言わんばかりの態度だった。まるで女子高生が夜中にコンビニでたむろするみたいなだらしない服装で、人を小バカにした、本当に子供みたいな態度を取りやがる。
「今世さん、本当にわからないの?」
「きゃははは、やっぱり知ってる人だ♪」
自らの名前を呼ばれ、なぜか彼女は笑いを漏らす。そしてやっぱり私のことは覚えていないみたいだ。
私の口元はきゅっと引き締まる。受けている仕打ちはかなりひどいと思うのだが、私はそれぐらいで怒ったりしない。うん、怒ったりしない。私は人一倍我慢強い人なんだから。
「高校で一緒だったでしょ」
私は念を押すように、はっきりと言った。
「は? はぁ ……あぁあぁ。そうそう高校ね。いたいた。あんたいた」
今世真理子の言葉はなんとも軽薄で頼りない。ホントに思い出したのか、こいつ?
「私のこと、思い出した?」
彼女の態度に疑念が拭いきれない私は、今井さんの様子をうかがいながら聞いた。
「ほいほい、覚えてる覚えてる。三年ときね」
あら、あってる。その態度とは裏腹に、ちゃんと私のことを思い出したようだ。
そう、今世さんとは高三の同級生だった。突然の再会で、ど忘れしただけだったのか。なんだ。ちゃんと覚えているじゃない。
「全然変わったからわからなかった」
「そう? 私変わった?」
あまり顔立ちは変わった自覚はない。身長も高校生当時から伸びたというわけでもない。私はこの数年で姿形は変わっていない。変わったと感じるのなら、高校時代と違う服装とメイクのせいだろう。さすがに社会人の今は、それなりのファッションに身を包んでいる。
「高校のときと大違いだよ。見違えた」
そう言いながらも、今世さんは携帯でメールを打ってやがる。本当に私のこと見ているのか?
いつも人と話すときにふざける私でも、そういう態度はダメなんじゃないかと思う。もう学生でもないんだろうから、もうちょっとどうにかした方がいいんじゃないかな。
「最近どうなの? 働いているんでしょ?」
数年ぶりの再会の決まり文句みたいなものを私は口にした。高校卒業以来会っていない私には、今現在、今世真理子が何をしているのか、風の噂にも聞いたことがなかった。昔の同級生なんて、大概そんなものだろう。
「えっ、何、私? 私は働いてないよとっくの昔に結婚したからそんなの常識じゃん」
常識って何がだ。あんたのプロフィールは一般民衆に知れ渡ってるとでも言うのかバカタレ。どんだけ自意識過剰なんだ。
「主婦なんだ?」
「今ずっと子育てっていうのやってさ、私って忙しいのよねぇ」
そう言う今世さんは、携帯を操作する指を更に激しくした。なんだ、忙しいって携帯打つのが忙しいって意味なのだろうか。子供でも連れていれば説得力もあるだろうに、子供の姿はどこにもない。
「へ〜。もう子供いるんだ」
「いるいるほんと子供ってうざい。今もババァん所に、あぁダンナの親んちに置いてきたけど手ばっかかかってうるさいしぃ。ほんと黙ってほしい」
うわ〜。もろダメ親だ。子供が可哀想。今世さんの子供にマジ同情します。
「ずいぶんな言い方ね。それならどうして子供作ったのよ」
「私だって別に欲しくなかった。出来たんだから仕方がないってダンナがうるさかったから、なのにあいつ自分は仕事あるとか言って子供の面倒見ないんだからわけわかんない」
子育ての苦労ってのは、結婚もしてない私がとやかく言うことじゃないけど、少なくとも私に子供が出来たら、こいつよりはマシな親になるって自負出来る。
今世真理子が世間的に見てどういう評価のされる人間か、私がわざわざ言うことでもない。でも、たったこれだけ話しただけなのに、私の中でもやもやと不快感が湧き上がっていた。こんな感情、九段坂恋歌と再会したときには感じなかった。そりゃ、今世さんと九段坂じゃあ、性格も何もかも違う。
それなのに二人との再会を並列に考えてしまった私が情けない。それは九段坂恋歌にあまりにも失礼だ。
私がそんな気持ちになっているなんて、まったく気づいていないのだろう。今世真理子は未だに携帯を触り続ける。私の顔をまともに見ようとしない。
折角の再会だけど、私は今世さんとこれ以上話をしたくなくなっていた。彼女の態度を見れば、大抵の人はその事情をくんでくれることに違いない。あまりにも目に余る。私はさっさとバイバイしたい気持ちにかられる。だから、一つだけ、これだけ話をして終わりにするつもりだった。
「九段坂恋歌…………、死んだんだってね」
同じ高校のクラスメイト。これだけは外せない共通の話題だった。
「は? 何?」
「だから、九段坂恋歌が死んだって話、聞いてないの?」
「レンカ? 誰? 芸能人? うは、私知らない」
今世さんの言葉が信じられなかった。一瞬、聞き間違いかとも思った。でも、私の聞き間違いなんかじゃない。それは彼女の薄笑いを浮かべた口元が物語っている。それなのに、こんなにも重要なことを話しているのに、今世さんはリズミカルな携帯操作の動きをまったく乱さない。
さすがの私もどたまに来た。私なんかを忘れたって、そりゃ仕方がない。そんなのどうでもいい。でも、九段坂恋歌を忘れたなんていくらなんでもひどすぎる。
「九段坂恋歌よ! 高校のクラスメイトっ!」
私はヒステリックな声を上げた。確かに私だって友達じゃなかった。九段坂恋歌はクラスに静かにいるだけの根暗な子だった。それでもずっとクラスにいたじゃない。その子を忘れたというの?
「はぁ? 何組?」
「三年間、私と一緒だった!」
「三年間? じゃあ三年は私と同じ?」
「そうよ!」
私はホントの本気で声を荒げた。ホームのあちこちにいる人たちが皆振り返る。なのに今世真理子だけは携帯から視線を外しさえしない。
なんて奴だ。こんな奴、絶対に友達になってやんない。だから私も友達じゃない。最低の女だ。
「そうだっけ? 興味ないから私覚えてないや」
こ、ここまできて、その言い口、そんなのあんまりだ!
「いくら九段坂が根暗でクラスに馴染めてなかったからって、ひどいじゃない」
「はぁ? それあんたのことじゃん」
えっ……? 何を、言って……。
「根暗でクラスでハミってたのはあんたじゃん」
「な、何を言って……るの?」
「そうそう、この間あった同窓会でもみんな言ってた言ってた。あんたがいないから気が楽だって」
「え……、同窓会……?」
「あんた来なかったけどさ同窓会楽しかったよ」
私、そんなの呼ばれてない……。
「今世さん、同窓会って……」
「あんた以外の女子みんな来てたけどね。みんなで言ってたんだって、あんた来なくてよかったって、あんた暗いから来ても雰囲気悪くなるだけだし」
「私が、いない方が……?」
恐る恐るに私は声にした。なのに今世さんは、さも当然のように
「当たり前じゃん」
と、軽いノリで言った。
「私だって今日初めてあんたと口聞いた気するし」
「そんな……、だって……」
だって、私たちクラスメイトだったじゃない。なのに、どうしてそんなこと言うの。
「ちょっとはマシになったと思ったけど、あんま昔と変わんないねあんた。変なこと口走ってバカみたい」
「あ、だって…………」
私に反論の言葉はなかった。どうして反論出来ないのか、自分でもわからない。何もわからない。
「レンカだっけ? 私覚えてないけど、そいつも同窓会来てなかったのは確かだけど、記憶力超いい私が覚えてないんだから相当だよね」
「どうして、私たち一緒のクラスだったのに……」
「一緒ってあんたずっとハミってたじゃん。教室でもずっと一人で、あんたと誰かが話しているところなんか見たことないって超笑えるんだけど」
「わ、私のことは、いいの! 九段坂恋歌のこと!」
「そのレンカって奴もあんたと同じでいてもいなくてもいい奴だったんじゃない。私覚えてないし」
「な、なんてこと言うの! そんなこと言うなんて!」
「だから覚えてないってそんな奴」
「だって、彼女は」
「彼女は?」
そう今世さんに聞き返されて、私は言葉に詰まる。彼女は、九段坂恋歌は何? 何なの?
「その人死んだって?」
「そ、そう。死んだの」
「どうして?」
どうして九段坂恋歌は死んだのか。私はずっと考えていた。でもその動機を私は聞いていない。ただ、自殺したとだけ。
「自殺……らしい」
「らしい? 知らないの」
「私も、聞いた……、だけ……」
そう私も又聞きだ。メールで教えてもらっただけ。私も九段坂恋歌の最期を知らない。
「聞いただけ? 誰に?」
「……高校の、友達」
「あんた友達いるの?」
えっ……。私は、私には、高校の友達が…………。
「誰よ。あんたの友達なんてする変人。そいつもやばくない?」
誰? 誰から聞いたの? 私は誰から九段坂恋歌の死をメールで知らせてもらったの?
私は急いで携帯を取り出して、メールの履歴をめくった。そこに並ぶのは、迷時、山園、河渡など、みんな社会人になってから知り合った人物ばかり。そしてアドレス帳にも、大学以降コンパで交換したものがほとんどだ。何百件とアドレス登録されているのに、高校時代の知り合いなんて一件も登録されていない。
私は何度も何度も携帯を調べるが、どこにも高校の友達なんていなかった。そんなあせる私に、同じく携帯を操作する今世真理子は冷めた様子で言い放つ。
「あんたやっぱり変わってないね。きもい」
きもい? 私がきもい?
「そんな、私はっ!」
私の悲痛な声と同時に鳴る今世真理子の携帯電話。何の躊躇いもなく電話に出た彼女は「うん。今大丈夫だよ。ほんと笑えるんだけどね」とか言って電話しながら歩き出した。
私に別れの挨拶なんてする素振りも見せない。私に一瞥すらしないまま、駅の階段に消えていった。まるで私が空気か何か、どこにでもある、どうでもいいものみたいに無関心。
今世真理子の眼中に、元から私は写っていない。そんなのわかってた。
取り残された私はふらりとベンチに座り込んだ。正確に言うのなら、立っていることが出来なかった。
私の心は真っ白だった。何を考えていいのかすら浮かばない。
高校のクラスメイト・九段坂恋歌。高校時代の私たち。
何を考えればいい。何を考えてはいけない。
私は、私は……。
涙はなかった。悲しくもないのに泣けはしなかった。今の私にまともな感情はない。
ただ、ぼーっと人を吸い込み吐き出していく電車の往来を見つめていた。
気がつけば、私は自分の部屋に帰っていた。どこをどう帰ったのか記憶にない。たぶん、いつも通りの道筋を、いつも通りに帰って来たのだろう。体が帰巣本能だけで家に辿り着いたのだ。
だけど、私は雲の上にいるみたいにふらふらとした気分で何も考えたくなかった。でも、頭は勝手に今さっきの出来事を考えようとする。今世真理子に言われた言葉の意味を考えようと。
それなのに、駅で何があったのか、はっきりと覚えていない。いや、覚えている。覚えているけど、覚えていたくない。
「ねぇ、どうしよ? ねぇ恋歌、どうしよう?」
返事がない。私の声に誰も返事をくれない。
だって、この部屋で一緒に暮らしていた九段坂恋歌ももういないんだもん。
今、私は独りぼっち。そんな心苦しいことに改めて気づいてしまう。
「あぁ、あぁ、ぁぁあ!」
声にならない声を出して呻いた私は力任せに床を殴りつけた。そして、深い呼吸を繰り返しす。
冷静に、冷静になれ。冷静になるんだ。クールにきめろ!
呼吸を整えた私は、思い立って高校の卒業アルバムを求めて家探しを始めた。卒業アルバムを見れば、高校時代の私がわかるはずだ。
みんなと写ってる私の写真があるはず。アルバムのどこかに九段坂恋歌も載っているはず。どんなに、根暗で無口でも、集合写真ぐらい、一枚ぐらい、写真があるはずだ。たとえ集合写真に写ってなくても、その写真の隅っこに別枠で写真が入っているはずだ。
それを見れば、今世真理子が適当なことを言っていたと証明出来る。今世真理子がいい加減な態度でいい加減なことを言っていたって、彼女の言葉なんて気にしないでいいって証明出来る。私がみんなと普通に写っていて、それで九段坂もアルバムのどこかに……。
しかし卒業アルバムは見つからなかった。それどころか、高校時代を彷彿とされる物など何もない。
そりゃそうだ。私は大学に進学するときに、すべて実家に置いてきた。裸一貫で独り暮らしを始めた私は、高校以前の物を持っていない。第一、卒業式の翌日に焼き捨てた卒業アルバムがあるはずがない。
「ふふふふふふふふふふ……、はっはっはっははっっはっはははは」
私の口から奇妙な笑いが漏れていた。何を信じたらいいのかわからなくなった私は笑うしかなかった。
おかしい。何を必死になっているの? 今世真理子が言ったことなんてどうでもいいじゃない。
私には関係ない。今の私には関係ない。今世真理子がどんな戯れ言を吐こうと、今の私の生活になんら関係ない。今の私の生活に影響がないことを考える必要なんてない。
そう私は私に言い聞かせる。言い聞かせてるのに、頭の隅にいる冷静なもう一人の私は、ちゃんと現実を見つめている。
もし今世真理子の言うことが正しいのなら、彼女が真実しか言っていないのなら、友達が一人も出来ず、学校では誰とも話をすることもなく、寂しくただ学校にいるだけの存在だったのは、九段坂恋歌ではなく私だったとしたら。
私がそんな暗い存在だったというの! 楽しく、ふざけた、どうでもいい話ばかりしている私が、そんな、そんな真っ暗なっ!
「はぁ、はぁ、はあ」
私は荒い息を吐く。そして部屋のある一点から目を離せない。コタツの向こう側から目を離せない。
そこはいつも家出少女の九段坂恋歌が座っていた場所。毎日のように私と楽しいお喋りを繰り返していた場所。今は誰もいない場所。
ぎゅっと胸が締めつけられる。そして息苦しさに歯を食いしばる。
何なの! 一体、何なのよ! どうして九段坂恋歌という存在に、私が振り回されないといけないの!
同じ名前をもった二人の九段坂恋歌。
九段坂恋歌は私のクラスメイトのはずだ。九段坂恋歌は無口で根暗でクラスでもいつもハミっていた可哀想な奴だ。私は彼女と友達というわけでもなく、その独りたたずむ彼女を哀れみの目で見ていたはず。
その九段坂恋歌は死んだ。私と再会した翌日に死んだ。死んだんだ。死んだ奴のことなんかで、どうして私が悩まないといけない! 九段坂恋歌はもういないんだ!
でも、それなら、あの家出少女の方の九段坂恋歌はどうなるの? どうして同じ九段坂恋歌を名乗ったの? どうして私の所に現れたの?
ねぇ、どうして? どうしてなのっ!