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悠木有紗(ゆうき・ありさ)は普通という範疇には当てはまらない女性であった。
飛び級で十五歳にして海外の大学を卒業したとか、ウェールズ人との混血で、そのケルト系の血統による絵に描いたような金髪碧眼だとか、父親があの正菱薬品の社長だとか。
そういった一切の側面は、彼女を形作る一因としては些細なことだった。
そんな上っ面の話がどうこういう前に、何より彼女が普通でなかったのは、僕に一番身近な女性だっていうことだ。
僕と彼女との出会いはそれほど特別ということもなく……。
それでも僕は、あの時のことを今でも鮮明に覚えている。
それは高校一年の九月一日。
例年と同じくして、まだ真夏の空が揺らめき、空気が煮えたぎる二学期の初日だった。
僕らはいつも通りに始業式を終えて、これからあと半年間通い続けるだろう教室に向かっていた。
その長くも不規則な行列は人混みの交差点に似ている。
一人一人の動きに意思は感じられず。最低限のルールだけが支配する混沌が流れる。
そして、彼女はその流れを乱す特異点そのものだった。
容赦なく照りつける太陽。冷房などない校舎の廊下と開け放たれた窓。
そこに流れるは、蝉の声と僅かな微風。
全てがその情景を演出する為の飾りでしかなかった。
光を散ばめた金色になびく髪は幻を思わせ、その髪を気にしてかき上げる仕草と横顔は、
まるで映画のワンシーンのような……。
言葉で言い表すのが馬鹿らしくなるくらいに、それは綺麗だった。
始業式が行われた講堂から校舎に抜けるアーチ型の渡り廊下に彼女は立っていた。
彼女は誰もが視線を背けることが出来ない容姿に反し、何人も寄せ付け難い空気をまとっている。
本来ならば誰かしら声をかけるはずなのに誰も近付けない。
それどころか彼女を避けるように、生徒の流れは蛇行すらしている。
そして彼女は一人、その生徒の流れを見送っていた。
誰かが言った。
「まるでマネキンみたい」
確かに、そのときの彼女は行き交う人とそれを見送る模造人形(イミテーションドール)のようだった。
どんなに奇麗でも、ただ立ち尽くす人型の飾り。それが悠木有紗だった。
どれだけの時間、そこに立っていたのであろう。
ついさっきから? それとも五分前? 僕たちの始業式の間ずっと?
彼女はどんな思いでこの騒がしい人の波を見つめていたのだろう?
あちこちから聞こえてくる楽しげなお喋りを聞いて、寂しくは思わなかったのだろうか?
人の列がいつ終わってしまうのかと、心配にはならなかったのだろうか?
そんな悠木有紗の静寂を解いたのは、彼女自身の一歩だった。
歩幅にして僅かな一歩。
たった一歩が全ての均衡を根本的に破壊した。
彼女が踏み出した歩みが人の流れを揺り乱し、生徒達の渋滞は後続の進行を許さない。
彼女が教室へ向かう有象無象の生徒の中で、どうして僕に声をかけたのか、今でも不思議に思う。
それは全校生徒分の一の確率。
運命なんて言葉、安っぽくて使いたくないけど、他になんて言えばいいんだろう。
彼女の初めての言葉、今でも覚えてる。
「それでもアナタは職員室に案内すべきなのですよ」
日本人離れした容姿の女子高生が、完璧な発音の日本語で、なおかつ文法が微妙だった。
その言葉が僕の人生を大きく変えた。そう僕は勝手に思っている。
たぶん、僕は悠木有紗に選ばれたんだと思う。
その関係性は救世主(メシア)に導かれ、約束地に向かう名も無き民に似ている。
彼女が僕を選び、僕は彼女に出会えたんだ。
悠木有紗にとって僕がどういう存在なのか、気にならないと言えば嘘になる。
でも、僕が彼女にとって特別な存在だなんて妄想は、僕の頭の中にしまっておく。
ただ一つ、ただ一つ言えることは、僕には彼女が必要だったって事だ。
僕は運命なんて信じない。
信じられるわけがない。
ただ、信じられるものは、彼女と僕の……