第十.五章「発端」
特別恵まれいたわけではなかったが、その家族はとても幸せに暮らしていた。
父と母、そして子供一人の三人家族。
いつも遅くまで仕事に明け暮れる父親は家に帰ってこない日も多々あったが、母親はそれに文句も言わず、寂しがる子供に精一杯の愛情を注ぎ懸命に育てていた。
知人の仲介で出会った二人だったが、よく尽くしてくれる母親に感謝する毎日だった。
子供が小学校に上がる頃、父親は仕事で大きなプロジェクトを進める為に、ずっと家を空けるようになっていた。
金銭的に苦しかったわけではないが、家に誰もいなくなると母親はパートに出るようになった。
自らが稼いだお金で子供に服や玩具を買ってやれるのが母親の密かな楽しみになっていた。
父親は決して子供を愛していなかったわけではない。
家を空ける時間が長ければ長い程、夜、家に帰って覗き見る子供の寝顔が愛おしくて堪らなかった。
可愛いその顔を見れば仕事の疲れなど全て飛んでしまう。
子供の遊び相手が出来なくても父親はそれで満足だった。
ある日、いつものように遅く帰宅すると子供の通う小学校から連絡が来たと母親が告げた。
担任の先生が、ときどき子供の様子が少しおかしいと言ってきたのだ。
母親は心配して父親に相談したが、昼間はずっと職場にいる父親には子供の変化が見て取れなかった。
しかし母親も何やら心当たりがあるらしく、子供の体調を心配していた。
父親は子供を病院に連れて行くように言った。
結果的に言えば、それが子供の病状を悪化させた。
子供は病気だったのだ。
数千万人に一人という希な病気。町医者では一生目にかかることのないだろう難病。
専門の医師でないかぎり、初期症状で病名を特定することすら難しい。
案の定、子供は原因不明の体調不良で一年間病院をたらい回しにあった。
東京の大学病院で脳の萎縮が見つかったときには既に手遅れだった。
それは末期症状の始まり。子供の病名はマサビシ脳萎縮性ジストロフィー。
未だに根本療法の存在しない超難病・MBAD。
父親は泣いた。年甲斐もなく涙を流した。
医者にかかっているというだけで、どこか安心していた自分。
母親に任せっきりにした自分。
仕事にかまけて子供を直視しなかった自分。
全て自分の責任だった。
それなのに白いベッドに寝かされた子供は、父親が見舞いに来ると無邪気に喜ぶのだ。
その笑顔が愛くるしかった。
そして、不幸は続く。子供の看病に疲れた母親が胸を患って急死してしまったのだ。
罵倒してほしかった。
非難してほしかった。
自分の罪に罰を与えてほしかった。
あの時、自身が診ていれば直ぐに初期治療が出来ただろうに。
そうすれば母親も死ぬことがなかっただろうに。
それなのに死に際でさえ、母親は落ち込んだ父親を逆に励ましたのだ。
誰も責めてくれない父親は決意した。
いくら嘆いても過去は変えられぬ。
ならばこれから訪れる未来の為に為すべきことがあるだろう。
罰は自ら与えよう。
自らに相当の罰を得る為に罪を重ねよう。
それがどんなに心苦しいものだったとしても……。