『渡る鳥』
いつもなら澄み渡る蒼天に木枯らしが吹きすさみ、身を縮こめてそそくさと家路を急いでいただろう季節であった。
だけど、その日は何かが違った。
放射冷却に凍えるはずの空は雲に覆われ、静かな曇天がじっと息を潜めていた。
浜辺にたたずむ俺は、時間が止まったかのような凪の空気に白い息を漂わせる。
波頭が砕ける音だけが響く冬の日。
急にかけられたその言葉は、今でも俺の心に深く刻み込まれている。
「知ってる? 渡り鳥って、旅の途中で半分ぐらい死んじゃうんだって」
声に視線を上げれば、水平線に白い鳥の隊列が見え隠れしていた。
「そらな、大陸やら海やらを渡るぐらい長く飛ぶんだからな。力尽きる奴ぐらいいるだろうよ」
つい反射的に答えてしまった。
砂浜でじっと海を見ていた俺は振り返った。
そこには人影が一つ。砂地を鳴らす歪な足音を連れて、その少女は俺のすぐ側までやってきた。
この女は何なのだろう。どうして俺に声をかけてきたのか。
彼女の声は浜辺で異性の気を引こうという声色でもなし、沈んだ雰囲気を漂わせていた。
そんな思いは脳裏を駆け巡りはしたものの、誰何するのも面倒で俺はまた海を見る。
今はそれ以外に何もする気が起きなかった。
「じゃあ、どうして飛ぶんだろうね。墜ちるのがわかってるのに、どうして……」
少女は俺の隣に並ぶ。目の前には十二月の日本海。先ほどまで見えていた渡り鳥達は、もうどこかへと消えていた。
それなのに、少女の瞳はどこかへと渡る鳥を見送るように、じっと灰色の空を見据えてした。
俺は脇見して、改めて少女の姿を見流した。年の頃は俺と同じぐらい、多分高校生だろう。
足を怪我しているのか、両手には松葉杖。
冬の最中だというのに紺のカーディガンを羽織っているだけで、明らかに寝間着に見える薄着だった。
ああ、そういえばこの先に総合病院があったか。彼女はその病院から抜け出してきたのだろう、と頭を働かせることが出来るぐらいに、俺は落ち着きを取り戻していた。
この海岸までふらふらと彷徨い歩いて来たときは、どうしてここを目指していたのかもわからないぐらいに、俺の心は淀んでいたのだ。
「学校は? 知ってるかい、今日は平日なんだぜ」
「見ての通りの入院中。あんた大学生?」
「いいや、高三」
「だったら、あんたもサボりなんじゃない」
「……そうだな」
サボりか。学校なんてもの、なんだか懐かしい。
つい三日前まで普通に学園生活を謳歌していた俺は、そんなことが頭を過ぎる自分に苦笑した。
冷たい。冷たい空気が俺の体を芯から凍えさせる。
そりゃ真冬の海岸なのだから寒いのは当たり前なのだ。それなのに俺も少女も身動きせず海を見ていた。
どうして海を見るのか。そんな答えは持ち合わせていない。多分、彼女もそうなんだろう。
「怪我かい?」
唐突に聞いた。
少女は眉一つ動かさず、ただじっと海を、いや海のさらに向こうにある何かを見つめていた。
なんだか、ただ立ち尽くして海を見ているのにも疲れて、俺は砂浜に座り込んだ。
直接腰に伝わってくるざらついた砂の感触が不快だった。
俺の隣で立ったままの少女。やはり寒いのだろう、その唇は血色悪く結ばれている。
風が吹いた。凪いでいた空が一瞬だけ動いて、そしてまた止まる。なんだか妙な天気だった。
それはまるで俺の心象風景のごとく、寂れた景色だった。
どんよりと雲のかかった空と、波高く荒れる冷え切った海は、今の俺の心情そのものにも見えた。
だから俺は、この海に惹かれてここまで来たのだろうか。
「アキ……」
「え?」
少女が何かを呟いた。
しかし寄せては返す波の音にかき消され、俺に耳には遠くで鳴く海鳥の飛鳴かと思える程度にしか聞こえなかった。
俺が聞き返したことに、腹を立てたのか少女の顔は少し歪む。
「アキレス腱切ったの」
「……そう」
ああ、怪我の話か。そう言えば聞いたんだった。
質問した当人である俺自身、別段本気で知りたいと思っていたわけでもなく、律儀に言い直してまで答えてきた少女の態度は少し意外だった。
「もう、走れないんだって」
感傷、なのだろうか、それとも寒いだけなのだろうか、少女の声は震えていた。
「この前の駅伝でアンカーだったの」
ああ、そういうことか、と俺は悟った。
彼女は陸上の選手だったのだ。そして彼女の怪我が持つ意味を知る。
「走ったの。茶臼峠の坂だって登った。私、五位だったけど、ゴールするまでに一人ぐらい抜く自信あったの」
そこで少女は言葉に詰まった。
話の流れから後に続く言葉は大体想像できる。だから何も言わずに、じっと少女が語るのを待った。
自分が躊躇いで口をつぐんでしまったのに呆れたようで、少女は鼻で笑いを漏らした。
「ははは、こけちゃった。たった一回こけただけで私の足は! この足はっ!
立ち上がったんだよ。私直ぐに立ち上がって、痛くて泣き叫びたいの我慢して立ち上がったのに、一歩も進めないなんてっ!」
怪我をしたときのことを思い出したのだろう、少女の瞳は潤んで揺れていた。
「……ごめんなさい。知らない人に勝手にこんなこと喋って」
「アキレス腱だったら手術すれば……?」
「駄目なんだって。どこをどう捻ったのか、周囲の組織を引き連れてズタズタ切れちゃって……。
手術してもマシになる程度なんだって、歩けるようになるのが精一杯なんだって。
現代医学も役立たずよね。
そりゃ、世の中には義足で走ってる人とかいるんだし、アキレス腱ぐらいやりようあるって、みんな言うんだけどね。
……多分、私、もう走れないんだ」
「……そう」
かける言葉もない。彼女がどのぐらい絶望的なのかすら、正直よくわからない。
俺が何も言えないのは、俺が彼女に励ましの言葉をかけれるような大層な人間でないことを自覚しているだけだ。
走ることに生き、走ることを奪われた人間をどうこうしようだなんて烏滸がましことが出来るほど、俺は出来た人間ではない。
「自分が走れないのなんてどうでもいいの。よくないんだけど、自業自得だし。
一人でこけて一人で痛めて、恨むならアスファルトを敷いた建設業者か神様を恨めってね。
だから私は悔しいだけ。もう走れないことにじゃなくて、……たすきを繋げなかったことなんだ。
先輩達が繋いでくれたたすきを、みんなが期待してくれて選んでもらったアンカーが、途中であんな! あんなっ!」
「……あんまり、自分を責めるなよ」
口先だけだ。取り繕っただけだ。それ以外何を言えばいい。そんなこと知るかってんだ。
内心そんな悪態をつくのがやっとの俺を、俺自身情けなく思う。
「みんなそう言ってくれるんだ……。
口裏を合わせたように、みんな、みんな……」
少女の頬が一瞬だけ歪んだ。
たぶん、彼女がかけて欲しかった言葉は別なんだ。
だから、彼女はこうして海を見に来た。
海に何かを求めてここに来たんだ。
この少女も俺と同じなんだ。
「でも、私は自業自得だけど、先輩はこれで引退なの、先輩は私のせいで走れないの。
私なんかが走ったせいで、私がこけたせいで。私が……」
彼女は俺に何かを言って欲しいのだろうか。慰めて欲しいのだろうか。
たまたま会っただけの初対面の人間に泣き言を話して、楽になりたいのだろうか。
何を言っても正解ではない気がした。だったら沈黙が最善なのか。
いや、違う。そう、多分違うんだ。
俺だって、こうして海を見にこの海岸に来た。誰にも会いたくないとここに来た。
だけど、少女が側に来ても逃げなかった。そんな選択肢も思いつかなかった。
多分、彼女も俺も何かを求めてるんだろう。
一人で海を見に来るしかなかったやり場のない思いから開放してくれる何かを。
「もう走れないよ、走れるわけがないじゃない。
一番走らないといけないときに、走れなくなったこの足でどうしろっていうの!」
少女は叫んでいた。この冬の日本海に向けて力の限り叫んでいた。
その姿は何だか、とても真っ白な純白を思わせた。
たぶん、彼女はこれが最初の挫折なのだろう。
今までの短い人生で挫けたなんて一度もないんだろう。
そして初めての挫折で、選手生命が絶たれてしまった。
潤んだ瞳の少女は、ただ純粋に叫んでいるのだ。助けて欲しいと。
そんな少女に俺がしてやれることはあるのだろうか。
しんと静かな空は、沖から海鳴りを運んでくる。
海は何も答えてくれない。海はそこにあるだけで、訪れる人間になんら興味もないのだろう。
こうして二人の人間が救いを求めて来たというのに、海は何も答えてくれない。
「墜ちた渡り鳥は、仲間を恨んでるのかな?」
「え?」
俺の呟きに少女はこちらを向いた。少女の力ない表情が疑問の声を漏らす。
「仲間達が渡ろうとしなければ、自分も渡らなかった。
渡りなんてしなければ自分は落ちて海の藻屑にならなくて済んだのに、なんて思うのかな?」
「さあ、鳥の考えなんて……」
ひがむように少女は言葉を濁した。
「お前が、自分の失態に後悔するのはいいけどさ。先輩達に押し付けるなよ」
「押し、付ける?」
「お前が引退する理由」
ぐっと、息を呑む音が聞こえてきそうだった。
図星だったのかもしれない。少女は確かに俺の言葉の意味を理解していた。
「自分のことは自業自得なんだろ」
どうしてだか、追い打ちをかけるような言葉が口を突いて出てきてしまう。
俺は、躊躇を覚えつつ、言葉を続けざるを得なかった。
意地悪をしたいわけではない。彼女に恨みがあるわけでもない。
そうすることが彼女の為になる。そんなことを考えたのだろうか。
「手術もしないで、リハビリもしないで、いじける原因にされた先輩はいい迷惑だな。
そういうのを自分勝手って言うんだぜ」
「だって医者は!」
「関係ないだろ。諦めるのも諦めないのも自分次第……」
「どうしろっていうのよ」
「さぁ、それこそ知らねぇよ。やりたいようにやれよ」
「……あんたっておとなしそうな顔して酷いのね」
そんな顔をした覚えはなかったが、俺は苦笑いするしかない。
「あんたはどうしてこんな寒い日に海なんて見てるのよ。失恋?」
実に女性らしい発想だった。それこそまさに青春だろう。
俺の人生は、そんなに鮮やかに彩られたものにはならなかったらしい。
だから、こうして一人で海を眺めることしか出来なかったのだ。
「別に話したくないならいいよ。べらべらと自分のことを喋るのは私だけで十分ね」
さっきまで涙ぐんでいたのが、ばつが悪かったのだろう。少女はまた海を望み、じっと押し黙った。
灰の空を写す海は、決して綺麗とは呼べない代物であった。
でも、少なくとも今の俺の心よりは澄んでいる。そんな思いが沸々と湧き立ってくる。
俺はあんな海のようになりたいと思う。
荒れるでもなく、ひっそりと息を殺すでもなく、そこにあるだけで誰も無視が出来ないほどの存在感を放つ。
そして、俺や少女みたいに救いを求める者の心を少しだけ晴れさせる、そんな力強い存在に。
「……話したくないわけじゃないさ。
ただ、人に聞かせる話じゃないと思っただけ、かな」
「ふ〜ん、そう……」
それ以上は追及しなかった、話したくなければいいと言ったのは本当だったようで、少女は淡々と白い息を吐く。
「親が死んだんだ。昨日葬式」
話す気は本当になかった。いや、それは嘘だ。俺にも誰かに聞いてもらいたいという衝動があったのは事実。
この少女の独白を聞いて、うらやましく思ったんだ。
俺もああいう風に、澱んだ心に溜まったものを吐き出したい。そう、思ってしまったんだ。
それは、弱さだろうか。甘えだろうか。もうどっちでもよかった。言い訳する気もない。俺はこれっぽっちも強くない単なる人間なのだから。
「そう、なんだ……。お父さん? お母さん?」
「両方」
「同時に?」
俺が頷くと、少女は松葉杖で砂地を二、三回こづいた。聞くんじゃなかったという後悔か、聞いてしまった自分の迂闊さへの苛立ちか。
どちらにしろ、口にした以上、もうなかったことになんて出来やしない。
「トラックが対向車線にはみ出してな。ぺしゃんこだって」
少女が表情を変えなかったことに感謝した。
言った俺が言うのもなんだが、聞いて気持ちのいいものではない。
誰しも眉をひそめたくなるような、捻くれた言葉を、少女は俺を気遣ってぐっと耐えてくれたのだ。
「ごめんなさい」
そう言わしてしまったことを後ろめたさを覚えた。
「別にいいさ。昨日まで、散々『可哀想』だ、『御愁傷様』だ、言われて飽きたよ。
正直、実感湧かないんだよなぁ。遺体見たけど原型とどめてなかったし。
そういう意味では、俺は両親の死に顔すら見てないんだよな。
だからかな。もしかしたら、ひょっこり帰ってくるのかもしれない、だなんて都合のいいことを心のどこかで思ってるのかもな」
また自虐的なことを言ってしまう。
やめたいのに、どうしてもやめられなかった。これまで耐えてきた反動で、もう自分でも止められやしない。
「横転したけどよ、相手のトラックの運転手は軽傷でね。通夜で散々謝られたよ。
……でも、憎みとか怒りとか、全然湧かなかったんだ。
親が嫌いだったわけじゃないのに。死んで欲しいなんて思ったこともないのに。
両親を殺した奴を前にして、どうしてこの人は地面に頭をこすりつけてんだろうって、そんなことしか浮かばなくて……。
『帰ってください』って言ったときのそいつのくしゃくしゃに泣きそうな顔が忘れられなくて。
死んだ親の顔よりそいつの顔の方が頭に浮かぶんだぜ。
ははは、笑けるよな。それでどうだ。慰謝料と保険金が入るとわかった途端、聞いたこともない親戚が俺を引き取るっていい出すってもんだ。
……あんなの、ドラマの中でだけの話だと思ってたよ。ほんと意味わかんねぇよ」
見ず知らずの少女に、こんなことを聞かせてよかったのだろうか。
でも、なんとなく、なんとなくだけれども、彼女以外に話せる相手なんて存在しないとさえ思えてくるのが不思議だった。
会ったばかりの少女に心を許したわけじゃない。人生に行き詰まった同士の傷の舐め合いと言われれば、それまでだ。
だけど、お互い事情は異なるし、これから歩むだろう人生は全く異なる道になる。
この浜辺から離れてしまえばもう会うことがないだろう関係だからこそ、気兼ねなしに腹に溜まった思いが話せたのだ。
「……泣きたいなら泣けばいいじゃない。誰も見てないわよ」
「お前がいるだろ」
「別に見てないよ。私は海を見てるのだもん」
「……泣けないから困ってんだよ」
「…そう」
「あんた、自分が可哀想だと思う?」
「知らねぇよ」
「だったら私は?」
「知らねぇ」
「そっか。いじけてるだけなのね、私と一緒で」
そうなんだろう。いや、きっとそうだ。
俺も彼女も、確かに不幸があったのかもしれない。でもやったことと言えば、海に来ていじけてみせただけなのだ。
だったら俺と彼女は全く同じ、似たもの同士だ。
少女が動かない足をあげ、片足のまま踵を返した。
「今日はあんたに出会えてよかったわ。
私は最低じゃないってわかったら気が楽になったから。ありがとう私より不幸な人」
「なんだそれ。それこそ最高に最低の発想だよな」
「ええ、私は自分勝手な酷い女ですもの」
先ほど俺が言った言葉への、少女のささやかな意趣返し。今はそれが心地よい。
「だから、死なないでね。
このまま入水自殺なんかされたら、私、目覚めが悪いんだけど」
「別に死にに来たんじゃねぇよ」
それは本心なのだろうか?
だったらどうしてここに来た?
海を見に来ただけ、黄昏に来ただけってのが本当の理由なのか?
死ぬ気はない。
だけど、この海岸に現れたときの俺は、間違いなく絶望を抱いていた。
明日からどうすればいいのか。俺の心には空虚な風が吹いていた。
俺の足が海岸に向いた理由を、俺は明確に説明出来そうにない。
「はぁ、ああもう、かったるい」
離れていこうとしていた少女がリズミカルに松葉杖をついて戻ってきた。
そして、杖から手を離すと砂浜に座ったままの俺に手を差し出した。
化粧っ気のない少女の顔を見上げる俺は、首を傾げた。
差し出された少女の手は、小指だけが伸ばされていたのだ。
「指切り」
「は?」
「だから指切りよ」
「何言ってんだよ、いきなり」
「半年後、またここで会う。そんな約束」
少女の顔は真剣だった。
砂地で松葉杖から手を離したものだから、ふらふらと、立っているのも危うい様子なのに、差し出した小指を引こうとはしなかった。
「私は、走れるようになってくるから」
「走れる? 半年後に?」
「そう、だからあなたは、普通に生きて、普通にここに来る」
「なんだ、その約束」
「ええ、簡単でしょ?」
「簡単というか、だから俺は別に死なねぇよ」
そんなに俺は自殺しそうな顔をしていたのだろうか。
初めて会った少女にここまで言わすほど、俺は重症だったのだろうか。
死ぬ気はない。ないはずなのに、少女の申し出は、重たく、そして胸苦しい。
「だったらいいじゃない。約束しなさいよ」
少女は瞳は俺を見据えて話さない。そのまなざしは、今の俺には眩しく映る。
「俺は生きてるだけでよくて、お前は走れるようになるって?
医者に走れるようなるのは無理って言われたんだろ?」
「えぇ、そうよ。あなたは簡単だから問題ないでしょ?」
「お前、自分が半年で走れるようになると思ってるのかよ」
「結果までは責任持てないわ。でも、私たち長距離ランナーって、根気と根性は折り紙付きよ」
「さっきまで『もう走れない』とかなんとか、グダグダ言ってた奴が何言ってんだか」
それ以上、少女は言葉を紡がなかった。ただ黙って小指を俺の目の前に差し出してくる。
断りきれないから。そんな理由でもなかったのだろう。俺の小指は、白く細い少女の指に触れていた。
ぎゅっと力強く。二人の指が結ばれる。
いつの間にか、灰色の空にはまだらに白い粒が混じり始めていた。
雪が降り出すなんて、どうりで寒いはずだ。
「変な気分ね。名前も知らない男の人と、こんなことするなんて」
彼女の吐き出した息が俺の白い息と混じり合う。そして、透き通るような冷たい空気に溶けて消えていく。
「お前が言い出したんだろ」
「ええ。でも、どうしてだろ。悪くない気分」
少女がぎこちなく笑った。
どうして無理に笑顔を作ったのか。俺にはわからなかった。
ただ、離ればなれになった小指が口惜しいと思った。
「それじゃあ、半年後、またここで」
今度こそ、少女が去っていく。
痛々しく突く松葉杖は、この海岸に現れたときとは、明らかに奏でる音が違っていた。
「お前、本気かよ」
少女の後ろ姿に問いかける。
「知らないわ」
無責任な答え。少女は振り返りもしなかった。
そうだ。半年後のことなんてわからない。
人間、明日のことすらわからないんだ。
誰がそんな口約束の責任を持つかって話だ。
俺はもう一度、海を見た。
空から降り注ぐ風花が舞っては海に沈む。
この様子だと、明日の朝は一面の雪化粧だろう。
また、白銀が街を覆う日々が訪れたのだ。
空には、また別の渡り鳥の姿があった。
南国を目指すだろう鳥隊は、乱れることなく彼方に消えていく。
「でも、目指すものがあるってのは、いいことだよな」
凛と鳴く渡り鳥の鳴き声が聞こえた気がした。
了