3
海の上に一本の線が走る。
その線には上部には車道が走り、その下には線路が並ぶ。
更にその内部には電気水道などを送るライフラインが存在していた。
そこは大阪湾に浮かぶ人工島、関西国際空港へ至る道。つまりは関空連絡橋だった。
その線路を走る電車の中から、徐々に近付いてくる空港島を西家は眺めていた。
以前は通勤として毎日渡った連絡橋を、乗客として渡るとは、なんとも皮肉だと西家は感じる。
つい数ヶ月前には、通勤の車内で居眠りばかりしていたのが懐かしい。
その頃はこんな風に空港島をゆっくり眺める余裕なんてありはしなかった。
西家は脱サラをして空港関係者でなくなって以降、関西空港駅に着くまでの間、空港島を静かに眺めることに決めていた。
駅に着けば、勝手知ったるもの。 西家は搭乗手続きを済ませ、出発までの時間を搭乗ロビーで過ごしていた。
何をするでもない待ち時間。西家は携帯電話を片手に時間を潰していた。
「あれ? Pちゃん」
そう呼ばれ、西家は反射的に振り向いた。
そこには人懐っこい笑顔をした友人が立っていた。
「士井ちゃん」
つい先日、あれは先週末の金曜だから、たったの三日前に、『6-2』の飲み会で会ったばかりの士井がそこにいた。
友人と待ち合わせをしたわけでもないのに会えたことに密かな喜びを覚え、西家の顔からも笑みが漏れた。
見れば、士井は見知らぬ男を連れていた。
「ああ、こちらは順くん。俺の仕事仲間」
士井が紹介すると、男は順中尾(シュン・チュンウェイ)と名乗った。
中国人らしいが名前の割に日本語の訛(なま)りは感じられず、言われなければ中国人とは気付かなかっただろう。
「西家です。士井とは学生時代の友人です」
西家の言葉に、順は何も言わずに手を差し伸べた。
握手を求められたのだと気付いて、西家は順の手をがっちりと握り込む。
海外で仕事をすることが増えてから、西家は握手の重要性を思い知らされた。
人種も国籍も言語も異なる同士がする挨拶として、手と手を結ぶ握手ほど有効なものはない。
「彼、無口だけど、いい奴だよ。切れ者だし。将来日本で一発当てるつもりらしいから、Pのライバルだな」
「何? 日本で起業でもするの? 同じ業種じゃなければ全然OK。でも、同じ業種ならぶっ潰すよ」
西家の冗談で三人は一気に和んだ。
士井たち二人は日本出張を終え、中国に帰るところらしい。
士井のように海外に単身赴任するのは大変だと、西家は改めて痛感した。
「Pは、ヨーロッパかい?」
士井の言葉を聞いて、順が怪訝な顔をした。恐らく『P』の意味が分からなかったのだろう。
『P』が西家のあだ名であると、今ここであえて説明する必要性も感じられず、西家はそのまま話を進めることにした。
「ああ、スペインとポルトガルにちょっと」
「P、いいよな。中国ばかりだと飽きてくるよ、ほんと。たまには北京とか上海に行ってみたいな〜。別に香港でもいいけど」
「いやいや、それ全部中国だから。士井ちゃん、中国国内で旅行とかしないの?」
「仕事でそんな暇ないって」
「そっか……。でも、仕事であちこち行くのも疲れるよ。ユーロ出来て大助かりって感じ」
「確かになぁ……。おっ、俺たちの飛行機そろそろ時間みたい」
「ああ、じゃあ今度日本に帰って来たら、またな」
「Pも、んじゃあ」
そんな軽い言葉を残し、士井は順を連れ足早に消えていった。
格好付けている分けでもないのに、振り返りもせず手を振る士井の姿は、実に様になっていた。
さすが小学生時代からモテる奴は違う。
格好付けても格好付かない西家は、妬みを通り越して尊敬の念を感じていた。
「さて、俺の飛行機は……」
西家は独り言を呟き、行き先表示板を見上げた。
しかし、そこには発着遅れの表示が連なっていた。
耳を澄ませば、館内に強風による離着陸の遅れがアナウンスされていた。
どうにもついてない。
そう思わせる出立だった。
西家がヨーロッパでの仕事を終え、日本に戻ったのはそれから丸二週間が経ってのことだった。
出発と同じ関西空港に帰って来た西家は、再び発着ロビーで声をかけられた。
出国時の士井のことが頭をよぎり、まるで既視感を見るような気分だった。
ただ、今回声をかけてきたのは見知らぬ男女二人組であった。
「西家数雄さんですね?」
女が西家の名を呼ぶ。見知らぬ人物からフルネームを呼ばれ、西家は驚きを隠せなかった。
それに、どうにも高圧的な物言いだった。雰囲気からしてこの男女二人組はカップルのようには見えない。
女は今時に珍しい染料の入っていない黒髪で、引き締まった口元が苛立ちを示していた。
逆に男の方は明るい笑みを浮かべている。
関係性の読めない男女のペアであった。
「あなた方は?」
「大阪府警の富竹(とみたけ)です」
「守井(もりい)です」
簡素な自己紹介と共に、二人は警察バッジを提示する。
確かに二人とも小綺麗なスーツ姿で、刑事と分かって納得のいく身なりをしていた。
「もう一度確認します。『6-2』の西家さんで間違いないですね?」
西家は、ただならぬ気配に後退(あとずさ)りした。
警察の口から『6-2』という単語を聞くとは思いもしなかった。
それが『FC6-2』のことであろうと、『6-2』だったとしても、初対面の他人から聞くはずのない言葉のはずだ。
それは仲間内のキーワードみたいなもの。
『6-2』関係者であるというだけで西家と親密な関係であるといえるのだ。
「別に、あなたを逮捕しようというわけではありませんよ」
富竹と名乗った女刑事は、西家の警戒を解こうと急に表情を緩めた。
それがあまりにも作為的に見え、逆に西家は逃げ出したい気分に襲われる。
「少しお話が聞きたいだけですので。……そうですね。ベンチにでも座って、お話、いいですか?」
堪りかねたのか、守井という男の刑事がフォローを入れた。
彼の満面の笑みは、逆に警察官には見えない不釣り合いなものだった。
しかし任意同行でもないことが分かると、西家の緊張も若干解れた。
それでも帰国を待ち受けるように空港で警察が接触して来る用とは何なのか、不審を抱かずにはいられなかった。
ただ、西家にしても警察相手に問題事を起こす気もなく、守井が勧めたベンチに素直に腰掛けた。
西家を挟むように二人の刑事が座る。
その配置に、西家は改めて圧迫感をひしひしと感じる。
「確認なのですが、西家さん。あなたはこの二週間、海外に行っていた。間違いないですか?」
「はい」
西家は守井に正直に答えた。
第一、それを知っていたからこそ、この二人の刑事は空港で西家を待ち構えていたのだ。
「ではその間、国内の誰かと連絡は取りましたか?」
「いいえ、特に。現地で商談に駆け回ってましたから……」
「そうですか」
事前の予想通りだったのだろう。守井は頷くように相づちを打った。
「では、あなたはご存じないのですね?」
今度は富竹の質問が飛んでくる。
それは要領の得ない問いだった。
「何をです?」
質問に質問でしか返せない西家に、富竹は躊躇うように一呼吸置いて告げた。
「義田秋仁さんが、亡くなったのを」