第三章 「六ノ二は諦めない」
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「では、あなたはご存じないのですね?」
急にそう問われ、一体、目の前の女が何を言い出したのか理解に苦しんだ。
真昼の空港。
帰国したばかりだというのに、突然呼び止められ、西家は事態を飲み込めずにいる。
「何をです?」
思わずそう返していた。
「義田秋仁さんが、亡くなったのを」
頭が真っ白になっていた。
そこは関西空港の搭乗ロビー。ついさっき入国手続きを終えたばかりで、未だに日本に帰って来たという実感すらない。
周りの音が妙にうるさかった。
行き交う人の影が思考の邪魔をする。
一体、何がどうしたというのだ。
目の前にいる女の言葉を聞いても、西家数雄はなんの反応も出来なかった。
警察を名乗る二人に挟まれ、ただでさえ緊張していた。
それなのに何を意味不明なことを言うのだ? 西家は戸惑いよりも、腹立たしい苛立ちの感情に溢れていた。
それなのに、この男女二人組は表情一つ変えず、西家の返答を待っているようだった。
「な、何ですって?」
なんとかそう聞き返した西家だったが、なぜか思考は妙にクリアで、女の刑事が発した言葉を反芻(はんすう)していた。
聞こえた。
確かに聞こえた。
義田秋仁が死んだと聞こえた。
アキが死んだと聞こえた。
何を言っているんだ。ついこの間、アキと会ったんだぞ。
それなのにアキが死んだはずがない。
「義田秋仁さん。亡くなりましたよ」
戸惑っている西家に、男の刑事が今一度、なんの感慨もないような、まるで気軽で馬鹿に明るい声で宣告した。
そんな嘘を吐いてどうしようっていうんだ。新手の詐欺か? それとも悪質な悪戯か?
苛つきが怒りに変わってゆき、西家の感情を支配する。
「嘘だ! 俺は会ったぞ。ついこの間、俺はアキに会ったんだ!」
西家は思わず立ち上がった。ベンチに座ったままの二人に向かって大声を吐き捨てる。
それなのに二人は慌てた様子はない。
逆に「落ち着いてください」そう声をかけ、西家の肩を引き押さえて再びベンチに座らせた。
「あなたが義田さんに会ったのは、あなたが日本を発つ三日前、十一月十七日ですね?」
守井と名乗った刑事に言われ、西家は記憶を呼び起こす。
アキと会った日だと?
そんなの決まっている。「6-2」四人で集まって、梅田で飲み会をした日だから、週末だ。
日本を出国した前の金曜の夜。
……それは確かに日本を発つ三日前だった。
手帳を開いて確認すると、刑事の行った通り、それは十一月十七日であった。
「……はい。……そうです」
西家の肯定の言葉で、二人の刑事がアイコンタクトするのが分かった。
何か示し合わせていたようで気味が悪かった。
「西家さん、署の方で詳しい話を聞かせてもらえますか?」
「えっ? ちょ、ちょっと、まさか、俺が……」
刑事に警察署に来いと言われた西家は慌てた。
それは当たり前の反応だろう。そんなことを言われれば、誰でも慌てるに違いない。
「西家さん。この際ですから単刀直入に言います。義田さんの事件は他殺かどうかもまだわかっていません。
ただ、他殺の可能性は十分にある死に方をされました」
守井は静かに言葉を並べた。今まで義田が死んだのを知らなかった人間には少し衝撃的な内容なのは守井も承知していた。
それでも、何も事態を把握していない西家に、この際はっきり言うべきだと判断した。
「ですが、私たちはあなたを容疑者として逮捕しようだなんて、今のところ考えていません」
「じゃあ、どうして!」
「西家さん。落ち着いて聞いてください」
女性の刑事、富竹は、殺しを効かせた声で西家を諭した。そして本題に移る。
「士井さん、浦谷さんが行方不明なんですよ」
「え……」
言葉が出なかった。
頭が働かない。
思考が回らない。
それなのに、いつの間にか西家の手は震えていた。
原因の解らない震え。
たった一言。たった一言、刑事が発した言葉で、西家の本能は理解したのだろう。
それは恐怖と名の付いた感情。
仕事で日本に帰ってきたばかりだというのに、西家を取り巻いている現状は急変していた。
義田が死んで、士井と浦谷もいなくなった。
それはつまり、小学生からの友人の集まりである『6-2』で残っているのは西家だけ。
その事実が、西家に不気味にのし掛かっている。
なんとも言えぬ居心地の悪さ。
なんの冗談なんだ。意味が、意味がわからない。
いつの間にか、西家は荒い息を吐くようになっていた。
これで落ち着けとなど、無理というものだ。
「ですから、西家さん。我々警察はあなたの身柄を保護することにしました。
あなたの身の安全を保証する為にも。この意味、わかりますよね?」
女刑事の言葉が聞こえても、なんの実感も湧かなかった。
それが自分に対して言われているなんて、冗談にしか聞こえない。
「詳しい話は署の方でしましょう。現状の説明も、それでいいですね?」
「は、はい……」
西家は返事をするのが精一杯だった。彼の頭の中では疑問詞の言葉だけが蠢(うごめ)いていた。
どうして自分が警察に保護されるんだ?
どうしてアキは死んだんだ?
浦谷と士井ちゃんはどこに消えたんだ?
これからどうなるっていうんだ?
「士井ちゃんは空港で会ったのに……」
西家はベンチで頭を抱えて嘆くしかなかった。
このまま泣いてしまいたい。なのに、それなのに、西家の呟きが聞こえたのか、女刑事が突然、形相を変えた。
「今、なんて言いました? 今、なんて言ったのっ!」
「あ、えっ?」
もう充分に打ちひしがれているのに、この女は更に何を言い出したのだろう?
西家は顔を強ばらせ、迫って来る女刑事が怖くて仕方がなかった。
「士井さんと空港で会ったと言ったでしょう!」
「ちょっと、トミーっ!」
守井が割り込み、西家の胸ぐらに掴みかかろうとしていた富竹を制止する。
「なんなんですか! この間、空港で士井ちゃんに会いましたよ。
それがどうしたって言うんですか。もう二週間も前のことですよ」
西家が言うと、制止していたはずの守井の手が緩み、彼の顔色も変っていた。
「それはいつのことですか?」
いつも明るい守井の声も、西家を責めるようなものに変わっていた。
「だから、俺が日本を出るときに空港で」
『十一月二十日!』
二人の刑事が声を合わせて言う。
西家には一体何が起こっているのか理解出来なかった。
「クソ! 搭乗者名簿はチェックしたのに」
守井が珍しく汚い言葉使いをする。それだけ、その事実はショックだったのだろう。
「別名義で飛行機に乗った可能性はあるわね」
「別名義? ……そういえば、士井は同僚を連れてましたよ」
西家が言う。そう、確かあの時、士井は男を一人連れていた。
「同僚? 守井、そんな話」
「無かったですね」
「西家さん、その人物の名前は分かりますか?」
「確か、ジュンかシュンか、そんな感じの中国人だったはずです」
「守井、すぐに署に連絡して、士井の勤め先に確認を。私は航空各社のカウンターに行ってくるわ」
「えっと、あの、俺は?」
西家は急な話の展開に戸惑うばかりだった。
警察署に行くという話はどうなったのか、逆に西家の方が心配なぐらいだった。
「私と一緒にカウンターに来て頂戴。その二人がどの便に乗ったのか思い出してもらいます」
「えっ、そ、そんなこと言われても」
「つべこべ言わず、来て!」
西家の苦情も聞く耳もたず、富竹は西家を引っ張って空港カウンターに向かっていった。
「トミー姉さん、なんだかんだ言って元気ですね」
その様子を守井は微笑ましげに見送っていた。
ここ最近、所轄との軋轢で、言葉には出さないが、ずっと仕事だけに集中しようとしている富竹の様子は、守井も気がかりであった。
しかし、その心配も杞憂であったのだろう。
守井は署に連絡する為、携帯電話を取りだそうとポケットをまさぐった。
その何気ない動作の中で、視界に奇妙な人影を見付けた。
『奇妙な』とは、また物々しい表現ではあるが、見知った人間が国際空港のロビーにいれば、違和感を覚えるのも当然である。
「安良智(あらとも)さん」
守井は声をあげ、人の流れをかき分けるように駆け寄った。
その人物は確かに守井の知人、同僚の安良智多香子(あらとも・たかこ)だった。
「安良智さん」
再度、その名を呼び、守井は彼女の元に駆けつけた。
安良智はその様子を冷ややかな目で見つめていた。
それは守井の知る安良智の行動パターンであり、本人である何よりの証拠だった。
「安良智さん、どうしてこちらに?」
「……。守井君。そんなに名前を連呼されたら、私、恥ずかしい」
その口ぶりに反して、彼女は全く恥ずかしがる様子もない。
首だけを守井に向け、放っておけばそのまま通り過ぎそうなぐらいに、興味なさげに守井に答えた。
「す、すいません。……安良智さん、見たところ仕事ですよね?」
守井がわざわざ彼女を呼び止めたのには理由があった。彼女の出で立ちが、一目で勤務中であるということが見て取れたのだ。
大人しい黒に近い灰のスーツの腰には警棒と無線機。
何よりその二の腕には『機捜』の二文字が入った腕章をしている。
そう、安良智多香子は守井や富竹と同じ刑事部の人間。
機捜とは機動捜査隊のことだ。
担当管轄内をパトロールし、事件発生の際は犯罪現場に急行、事件の初動捜査に当たる部署である。
守井たち、捜査課とは何かと関わりのある部署で、普段から守井も安良智に世話になっていた。
無論、守井は安良智にもニックネームを付けたのだが、その名で呼ぶと射殺されそうな白い目で睨まれるので、
口が裂けてもニックネームでは呼べないのである。
そんな機捜の安良智が関西空港にいるとなると、些(いささ)か焦臭い。
国際空港というのは特別な場所だ。
法務省の入国管理局、財務省の税関、検疫は厚生労働省と農林水産省の管轄。
空港設備は国土交通省が管理し、航空交通管制は防衛省が出張る時もある。
そこに航空交通各社だ。それはまさに縦割り、国という組織の縮図みたいなもので、揉め事に関してこれほどに神経を尖らせる場所はない。
まして海上空港の関西空港には海上保安庁までいるとなると、そこは全国でも有数の火薬庫といえる。
もちろん大阪府警も関西空港警察署を置き、常に犯罪行為に目を配っている。
そんな場所に府警本部の機捜が腕章を着けたままいるなんて、何かあったとしか考えられない状況であった。
「安良智さん、何かあったんですか?」
「隠しても、夕方にはトップニュースになってるだろうしね。滑走路脇で死体発見」
確かにテレビが飛びつきそうな話題だ。空港島という閉空間の、更に警備の厳しい滑走路の近くとなると、これは一大事である。
「他殺(コロシ)ですか?」
「守井君。君は死体が勝手に埋まると思う?」
「思いませんよ。埋まってたんですか?」
「後で見に来る? 管轄は警視庁が来ないかぎり、君の課だよ」
そりゃ空港島の滑走路脇なんて場所の事件、単なる所轄署の手に負える事件ではない。
ほぼ確実に府警本部が捜査を担当するだろう。
「管轄がウチになりそうと言っても、自分たちも別件で来てますから」
「そうね。君たちはあの飛び降りだっけ? 富竹と組んでると聞いたけど」
「ええ、トミー姉さんは今は空港カウンターの方に行ってますよ」
「そう、奇遇ね。私も今から……」
安良智が急に黙り込んだ。
明後日の方に目をやり、微動だにしない。
知らぬ者が見れば、守井があからさまに無視されているように見えるが、それは安良智が思案するときの癖だった。
「どうかしたんですか?」
「……どこかで聞いたことある名前だと思った。
そうよ、あんな変な名前、そうそうあるはずないし」
「あの……? 一体どうしたんですか?」
「なんで誰も気付かないのよ。……私もだけど。捜索情報来てたじゃない」
「安良智さん?」
「守井君。土じゃないシでサムライなのよね?」
「え? 土じゃないシが……サムライ? え、あぁ、『6−2』の士井治(さむらい・おさむ)のことですか?」
「そうよ。士井治。……守井君、来てもらわないと」
安良智に腕を引っ張られる。
それはまるで先ほど富竹が西家を引っ張って行った状況に瓜二つだった。
「え? え? ちょっと待ってください、安良智さん。何がどうしたんですか? 説明してください」
「だから、滑走路脇の死体。士井治なのよ」
「今、なんて言いました?」
その守井の言葉は、それこそまるで義田の死を聞かされた西家のようだった。