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大学を去って数ヶ月、悶々とした日々を送っていた私は、友人の勧めでリサーチ事務所を開くことになったんですよ。その辺りの事情は喜田川さんも知っての通りです。
もちろん、いきなりそんな事を突然始めても、上手くいきっこないのは、ちょっと考えれば分かりますよね。
私はその頃は何も置いてなくて、がらんと寂しかった事務所に唯一あったこの机に座り、ずっとずっとインターネットを……。
それはまぁいいとして、あの頃は今の盛況ぶりが嘘のように暇でしたから、私はずっと、この事務所で依頼が来るのを待っていたんです。
え? どこが盛況だって? そりゃあ、昔と比較すれば、こうして助手を雇えるぐらいの売上が出てますから、大いに盛況ですよ。
もちろん今月の給料は……、ははは。まぁそれはいいとして、うわ! やめてくだっ! 痛っ!
……そんな分厚いキングファイルを投げるのはやめてくださいよ。
たぶん給料出せますから……、たぶん……。
とにかく、昔は今よりもずっと暇だったって話です。
もちろん、何もしていなかったんじゃないですよ。折り込み広告とか、それなりに営業努力はしていたんです。
それで、十一月も後半にさしかかり、澱んだ天気が続いて、ほんと鬱陶しい天気の日でした。
仕舞いには、みぞれまで降り出して……。
あれ? それはもう言いましたか……。
はは、話には流れっていうものがありますから、まぁ聞いてください。
どうせ依頼の電話も鳴らないんだったら、帰った方がましかって思った矢先、一人の男が訪ねて来ました。
そういえば小柄な男性でしたね。
真面目そうな顔立ちで初見では印象のいい人に見えましたが、後から考えれば色々怪しい人でした。
何が怪しかったか……、個別にあげていけば、見た目はどう見ても二十代半ばで、本人も単なる会社員と名乗ったのに、腕にはオメガの高級腕時計をしているんです。
それに彼が帰ったときに見送ってみれば、事務所の前に横付けしてあったのはベンツのEクラスセダンだったんですよ。あれは絶対、訳ありの怪しい商売の人間ですね。
えぇ、そりゃ、私もどこぞの金持ちの坊ちゃんかと、最初は思いましたよ。
でも、これはまだ先の話になりますが、彼の家にも行ったんですよ。
結構古いというか、新しくない普通のマンションに一人暮らしでした。
確かに間取りは一人暮らしにしては広めでしたけど、ベンツを乗り回す人間が住むようなマンションでは断じてありませんよ、ありゃ。
で、その怪しい依頼人なんですが、なんと言うか雰囲気がないというか、普通のサラリーマンにしか見えない人なんですよ。
いいえ、前言に矛盾なんかしませんよ。
いくつかのアイテムが高級品なのに、身なり自体は普通すぎる。本人もステレオタイプ過ぎて特徴がない。
これは立派に怪しい人です。
わざと自分の個性を消しているような……、なんでしょう。金持ちなら金持ち。普通のサラリーマンならサラリーマンではっきりしろ、って言いたくなるような。
なかなか伝わりませんか、この違和感。
たぶん喜田川さんも彼を目の前にすれば、同じ感想を抱くと思うんですけどね。
はい、そうです。名前は義田秋仁。警察マニアや刑事事件研究者ならその名前を覚えているかもしれませんね。
『6-2事件』って知ってますか?
数年前のことなんで、もしかしたら喜田川さんも聞いたことぐらいあるかもしれません。
ええ、そうです。その『6-2事件』で死んだ人間の中に、義田秋仁は含まれていたんです。
まぁ、この話には『6-2事件』は直接関係しません。
……しないと思います。
私も色々立場があれなんで、『6-2事件』には出来るだけ関わらないようにしていますから。
私も『6-2事件』のことはよく知りませんしね。
もしこの事務所がフィクションに出てくるような探偵社だったら、首を突っ込んだのかもしれませんが、ここは科学調査を行うリサーチ事務所です。刑事事件なんて、触らぬ神になんとやらです。
そうでした。依頼ですね。その義田秋仁が持ってきた依頼は、実に科学者としては興味深くもあり、そして最上級にくだらないものでした。
彼、なんて言ったと思います?
『未来予知って本当にあるものなのでしょうか?』、なんて私に聞くんですよ。
小学生の素朴な質問でも在るまいし、大の大人が未来予知だなんて、馬鹿にするのも甚だしいと思いませんか?
未来予知が本当に実在するのか調べて欲しいだなんて……。
そりゃ確かに、私も依頼を受けましたよ。
私だって、背に腹は代えられません。食費を得る為にだったら、勘違いした人をよいしょするぐらいの器量は持ち合わせています。
彼が未来予知と口にしたとき、瞬時に私も彼に話を合わせましたよ。
「それはどういった類のものですか? 占いですか? それとも地球シミュレータの環境シミュレーションのようなものですか?」ってね。こう見えても私も占いは得意なんですよ。
いえ、違います。占星術とかの統計占いではなくて、タロットとか水晶とか、人生相談みたいな方の占いです。
あれってね。超能力でその人の性格を当ててるんじゃなくて、その人の容姿や姿勢、表情から、大体の予想を立てていくつかパターンだった応対をしているんです。
後は誰にでも当たりそうな普遍的回答で悩みを聞いてやるだけです。
いえ。だからと言って、占い師がインチキなペテン師だなんて言いませんよ。
悩み事を抱えた相談者の切実な思いを聞いて、現実的なアドバイスをするカウンセラーとして立派な商売です。
だから、私も得意なんですよ占いが。喜田川さんも占ってあげましょうか?
ちょっと、なんですか、その嫌そうな顔は。
私が喜田川さんの男性関係の悩みをで、痛いぃ!
ダメでっ! 定規を立てて殴るなんて反則ぅ。角が、角がぁ!
……わ、わかりましたよ。もう言いませんから……。
おかしいですね。女性の多くは占いが好きであるという統計データがあったはずですが……。
ああ、でも、週刊誌とかに載ってるラッキーカラーとかはあんまり信じちゃいけませんよ。
なんたって、私、その科学的根拠知りませんから。それはそんな依頼が来たときに調べて見ましょうね。
あれ? また話が逸れてしまいましたね。
そうです。義田さんは私の「占いとかですか?」という問いに首を振ったのです。
そして彼は凄く申し訳なさそうに、こう言ったのです。
『いえ、その、ノストラダムスのような予言書のことなんですけど……』ってね。
いやぁ〜。私も不意をつかれてしまって。絶句ってやつですよ。
1999年を過ぎてからというもの、ノストラダムスだなんて言い出す輩は、年末に宇宙人論争を繰り広げる番組の出演者以外に知りませんでしたからね。
私も依頼人を前に笑うことも出来ませんから、必死に耐えてたんですよ。
でも、義田さんは凄く真面目な顔をして、『未来を予知した文章を残せるものなんですか?』と繰り返しました。
そこまで言われては冗談とも取れません。聞いたんですよ。「なぜそう思われるんですか?」と。
それがですね。なんとも要領を得ない話なんです。
『数年前に死んだ友人が書いた小説を久しぶりに部屋で見かけて、読んでみたら、自分たちのことが書かれていて、それが今の状況と合致する』とかなんとか言うんですよ。
そうですよ。数年前に書かれた小説の内容が、今の状況を言い当ててる。義田さんはそう主張するわけです。
ええ、もちろん書店に売っているような書籍の小説ではなく、話によるとコピー誌の類だったようですが。
あれ? コピー誌を知りませんか?
コンビニとかにある普通のコピー機で印刷して、ホッチキスとかで製本する、いかにも素人臭い手作りの本ですよ。
直ぐに私は言ってやりましたよ。「それはご友人が未来のあなたのことを予想して小説を書いたら、たまたま当たったんじゃないか」ってね。
そりゃそうでしょ。百年後とかならまだしも、数年後の友人のことを言い当てるだなんて、そんなに難しいことではないですからね。
そしたらですね。彼は大声を上げて否定するんですよ。『職業や生活環境を当ててるんじゃないですって、その日の行動が書かれてあるんです』とか、怒鳴らなくても聞こえるのに。
なんとも眉唾な話です。喜田川さんもそう思うでしょう?
それにですね。「だったら、その小説を見せてください」と、私がなんともまともな対応をしたところ。『気付いたら本が見当たらなくなった』とか言うんです。
全く、人を舐めてるのかって話ですよ。
「あなた夢でも見てたんじゃないですか?」そう言うのは簡単でしたけど、私はそんな言葉を飲み込んで、大人の対応を取りました。
「それじゃあ、未来予知に関する古今東西の資料を集めておきますので、
今度会うときまでに、その小説を見付けておいてください。
とりあえず調査期間は一週間。その間に出来るだけの資料を集めます。
小説の現物が手に入ったら、その内容の検証をしましょう。それでいいですか?」って……。
なんです、喜田川さん。その目は。まるで詐欺師を見る目をするのはやめてください。
私は依頼を受けてそれを果たそうとしたまでです。
依頼人からなんの科学検証も必要でない依頼を引き出して依頼料をふんだくろうだなんて、私は考えていませんよ。
言ってみれば、義田秋仁の依頼に関してはそんなところです。
詳細は今、喜田川さんが手に持っているファイルを見た方が……。
って、喜田川さん電話鳴ってますよ。なんでとらないんですか。
ちょっと、事務所の電話番もあなたの仕事じゃないですか。まったくもぅ。
はい。阿須賀リサーチ事務所です。はい、私が所長の阿須賀ですが。科学調査のご依頼ですか?