第一章 九段坂恋歌
*
それは三月も終わりに差しかかった休日だった。空気が生暖かくて、二度寝には最高の日和。世間様では行楽に出歩くであろう程よい気候に、心地よさを覚え私が三度寝していると、家のインターホンが鳴った。
手狭なワンルームマンションの一室に虚しく鳴り響く電子音。化粧もしていない私は、出るのが面倒だったりするわけで。ベッドの上でくねくねと身悶えるだけ。するとチャイムはしつこく鳴る。それはそれで居留守が決定したりもする。
「いるの、わかってるんだよ〜」
そんな聞き覚えのない声が、ドアを叩く音と共に聞こえてきた。
まったく近所迷惑な奴だ。今日が日曜日と知っての狼藉か。日曜は十五時まで寝ていいという法律を知らないなんて、何て非常識。断固絶対、無視無視。
「ちょっと、何それ? 居留守カッコワルいです」
うっさいボケ!
「あ、開いてる」
ぶっ! 昨日、鍵閉め忘れた!?
私は布団をけっ飛ばして、パジャマのまま玄関にとんで行った。
すると、ワンルームマンションの小さい玄関には一人の少女が立っていた。歳の頃は十二、三歳。ツーサイドアップの綺麗な黒髪をした女の子だった。
「新聞なら間に合ってます」
「新聞取ってないくせに?」
ん? なぜに知ってる?
「宗教も結構です」
「無宗教のくせに?」
「私は私教に入っています。私が教祖で信者が私一人。内部分裂も起こりません。なんて合理的」
「そう? あなたの中のジキルとハイドがケンカしそうだけど?」
「そうそう、夜中に甘い物を食べたら太るんだけど、どうしても食べたくなって、よく私と私が大ゲンカしてます。まぁ勝つのがどちらかは決まってるんだけどね」
「葛藤する原因も低レベルですね」
「く〜ぅ。反論が思いつかない所が低レベル?」
「自覚があるならいいんじゃないですか」
そうして少女はニコりと笑った。少し澄ました顔立ちが可愛い女の子だと感じた。
つい、話の流れでノリボケちゃったけど、この子供は何者? そんな私の疑問に気がついたのか、女の子はペコリとお辞儀して自己紹介した。
「こんにちは。私は九段坂恋歌です」
ん? 少しの違和感に少しの思考。それは死んだ高校のクラスメイトの名前だった。いきなり家を訪ねて来て、そりゃ何の冗談だ?
「え〜と。どちらの九段坂恋歌さん?」
「どちらもこちらも、九段坂恋歌は私です」
何言ってるんだか。だからそれは死んだ高校のクラスメイトの名前だって。決してランドセル背負って小学校に行ってても違和感のない少女のことではない。
「あんたも九段坂恋歌なの?」
「そう、やっとわかってくれた?」
「たぶんわかってない」
「あらら」
「え〜っと、九段坂恋歌といえば、無口で根暗で、いてもいなくてもクラスの誰も気づかないのが私の知ってる九段坂恋歌だけど」
「うん、その九段坂恋歌だよ」
「いや、死んだし」
「うん、死んだよ」
「死んだらここにいないじゃん」
「それでも私は九段坂恋歌なのです」
「え〜。だって九段坂は私と同い年だよ。あんた子供でしょ。一体何歳なの?」
「レディに歳を聞くなんて、なんて失礼な人なんでしょう」
「コラ! 大人をからかわない!」
「ひどい。この前会ったときは一目で私だってわかったのに」
え? 私は少女の言葉に驚いた。
「えっと、この前って?」
「忘れたの? 去年の年末、クリスマスイブに会ったじゃない」
そう、九段坂恋歌が自殺した前日に私は彼女に会った。
「どうして……、知ってるの?」
私は九段坂に会ったことを誰にも話していなかった。いわば私と九段坂だけの秘密だ。
「本人だから」
「ホントにあんたが九段坂恋歌……なの?」
「えらく疑り深いんですね」
「そう言われても普通は信じないでしょう?」
「信じる信じないじゃありません。事実です」
「ふ〜ん。で、その九段坂恋歌が私に何の用?」
この見たこともない女の子が、九段坂恋歌だと信じたわけじゃないのだか、いつまでもその一点で問答しても話が進まないと、とりあえずに用件を聞いてみた。
「困ったことに、死んだので居場所がなくなりました。泊めてください」
こっちの九段坂恋歌は家出少女だった。
いくつも疑問点はある。この家出少女がなぜ九段坂恋歌を名乗るのか? どこで九段坂と私の関係を知ったのか? なぜクリスマスイブに九段坂と私が会ったことを知っているのか? 家出するならするで、どうして私の所に来たのか?
直ぐさま追い返すことも出来たんだけど、とりあえず話ぐらい聞いてあげようと寛大な心で少女を部屋にあげた。
ワンルームの広くない部屋で、二人がコタツを挟んで座る。するとなんだか二人の方が部屋に丁度いい人数に思えてきた。ワンルームなんてそんなものなんだろう。
そういえば、私の部屋に誰かをあげたなんて初めてだった気もする。折角の来客なので普段はあまり飲まないコーヒーをいれてあげた。
小学生っぽい子供にコーヒーってのもアレだけど、来客なんて想定していない私の部屋に、他に気の利いたものもない。インスタントにしては上出来の香りが部屋中に拡がった。
「で、話は戻るけど、あんた何者なの?」
そう言いながら、私はコーヒーに砂糖を六個ほど入れてグルグルとかき回す。
「だから九段坂恋歌ですって」
「まだ言うの? そんな嘘ついてどうするのよ」
「どうもこうも私は私。九段坂恋歌以外の何者でもないんです」
「あんた全然、恋歌に似てな……い?」
その時、気がついた。私、九段坂の顔をよく覚えていない。数年ぶりに会ったとき、一目で九段坂だって気がついたのに、彼女がどんな顔をしていたのか、全然思い出せなかった。
私はその戸惑いを隠すためにコーヒーを一気する。ちょっとむせてしまった私を見て少女は首を傾げた。その顔と私の知っているはずの九段坂の顔が、似ているのか似ていないのかが、さっぱりわからない。
「何? 私の顔をそんなに見つめて? ロリ百合属性にでも目覚めましたか?」
「どこでそんな言葉覚えた、クソガキ」
「昨今、ネットの海にはありとあらゆる情報が満ち溢れているのです」
マスコミの情報通り、ネットクライシス進行中。はぁ、日本の未来が心配です。
「でさ、そろそろ本名、教えてほしいんだけど」
いくら私だって堪忍袋というものがある。……ホントにあるの? 胃の下ぐらい?
それはともかく、いつまでの家出少女に構っているほどOLの休日は暇じゃないのです。あと三時間は寝たい。
「だから九段坂恋歌だって! と逆ギレ気味に言ってみます」
「いやいや、全然キレてないから、あんた」
「むぅ。細かいことを気にしていると目尻にシワ増えるますよ」
「はっはっは。シワが出来たらプチ整形してやる」
「くぅ。大人って汚い!」
ふっ。勝った。しかし、見事に話題を逸らされている不思議。
「そもそも、あんたのどこが九段坂恋歌だっていうのよ。年齢も性格も全然違うじゃない。九段坂はもっと性根から腐りきった陰気っ娘よ」
「事実だけど、本人を前にして言ってくれますね。いくら私でもズタズタに傷つきます。一秒後には立ち直るけど」
「打たれ強いんだ♪」
「はい。ダイヤモンドのように♪」
「うわぁ。めっちゃもろ! ハンマーで叩いたら木っ端微塵に砕けるじゃん!」
私のツッコミにニセ九段坂はニヤリと頬を緩ました。
うん。やっぱりオリジナル九段坂はこんなに明るく喋る娘じゃない。この少女は自分を九段坂恋歌だと言うけど、まったくの別物だ。というか、はなっから別人なんだけど。
「う〜ん。どうしてあんたが九段坂恋歌を名乗るのか知らないけど、このままじゃ話が平行線の枝分かれね。もう面倒だからあなたが九段坂だとしよう。で、その九段坂はどうして私の所に来たの?」
「さすがですね。その割り切り方はほれぼれします」
「うむ。伊達にOLはやってません。不条理を見て見ぬふりをするのが社会人と心得よ」
「社会人って悲しいのね。私、大人になりたくないです」
「時は無情に過ぎ去るの。私のお肌の曲がり角も刻々と近づいて来て……うぎゃ」
自分で言っておいて虚しくなる。でもまだ四捨五入すれば二十歳なんです! ぎりぎりだけど……。
「それはともかく、早く私の質問に答えなさい」
「とっくに言いました。他に行く所がありません」
そんなこと言われても、私も「はいそうですか」と引き下がるわけにはいかない。私の家は家出少女の駆け込み寺ではない。
「両親は?」
「いません」
「親戚」
「いません」
「友達の所は?」
「ここ」
ありゃ。私が友達なんだ。いつの間に。
「それじゃあ警察だね」
「後生ですからここに置いて下さい」
そうして少女は頭を下げる。深々と下げる。
ど、どうしよ。こんな子供の、それも女の子に土下座させちゃった。私って極悪人の仲間入り?
「困ったなぁ」
私が渋い声を呟いても、少女は床に頭を擦りつけるぐらいに下げたまま顔を上げなかった。
この子が九段坂恋歌を名乗るのは置いといても、普通、家出娘が来たら警察だよね、顕然たる一般市民としては。いくらなんでも未成年者略取で前科者になるのは嫌だ。
「いやぁ〜。でもさぁ、置いてくれって言われても、色々ね、法律とか生活費とかの問題あるでしょ」
「金ならあります」
そう断言して、少女は包み紙を差し出した。
何やら怪しさ満点だけど、とりあえず、その包み紙を手に取ってみる。
ずっしりと重たい。めっさ重たい。あきらかに体積と重さがかみ合わない。一体、何なのかと不思議に思い開けてみると、無骨な金属の板だった。
というか綺麗に光ってる。って金塊じゃん。その表面には4kgとか彫ってある。
「どっから盗って来た!」
勢いに任せ、手にした物を少女に投げつけようとしても、本当に本物のようで、そんな気軽に投げれない。っていうかマジ4kg。砲丸投げと同じぐらいじゃん!
「盗んだなんて人聞きが悪いです。ただの裏金作りの一巻ですよ」
「とりあえず一一〇番」
「ダメ! 警察と税務署だけはダメなんです!」
「あんた怪しすぎ。見た目子供なのに、言うことは妙に大人びてるし」
「そりゃ、九段坂恋歌ですもの」
まだそれを言うか。そんな腹黒い表情、どこで覚えた。小学校か? 最近の小学校はそんな面白いことを教えているのか?
「じゃあ、その金、要らないの?」
「いる〜♪」
はっ! 私って正直だから、反射的に答えてしまった。それに少女は満面の笑みを見せる。
「……で、この金塊。売りに行っても大丈夫なの?」
「えっ? ……そりゃ、……たぶん、……出来れば場末の質屋がいいかな」
「足ついたらダメなんじゃない!」
「そこは気合と度胸で切り抜けてください」
微妙に無責任な言い様だな。ただ、目の前に置かれた金塊の放つ独特の光沢が、私の目を惹きつけて放さない。
「……で、これもらっていいの?」
「私をここに置いてくれるなら」
しばしの葛藤の後、商談は成立してしまった。
*
「ただいま」
私が会社から帰ると、恋歌はいつものようにテレビを独り見ていた。
もちろん恋歌とは家出少女の方だ。結局、本名は教えてもらってない。口止め料を兼ねたっぽい金塊を受け取ったので、何とも詮索がしにくいこと。結局、金塊もまだ換金に行ってないし。なんだか、私が損してるみたい。
恋歌が私の部屋に住むようになって二週間がたっていた。彼女も今では我が物顔でくつろいでいる。他人との同居は初めてだったけど、特に支障はなかった。唯一、不満があるとすれば恋歌が家事をまったく手伝わないことだ。
何回か手伝うように言ったんだけど、「食中毒で三日三晩、死にかけてもいいのですか」とか、「ティッシュ、ポケットに入れたまま、無地と色物一緒に洗いますよ」とか。やる前からそんな予告されても困る。まるで脅迫だ。
でも、家事は独り暮らしをしていれば、元々自分独りでしなくちゃいけないし、私が家事を全部しても苦にはならなかった。それ以外は、この九段坂恋歌は物判りのいい少女だった。
いや、本名も明かさない家出娘が物判りがいいはずはないんだけど、部屋を散らかすこともないし、夜も静かにしてる。私の生活は邪魔しない。そんなまったく手のかからない子供だった。だから一緒に住んでいて、不快感はない。
私が帰宅一番にメイクを落としていると、恋歌が見ているテレビの音が聞こえてくる。彼女はどうにもNHKがお気に入りの変わり者のようで、テレビを見ているときは大抵ニュースがついていた。お笑いが出ているならまだしも国会中継でくすりと笑われると気味が悪い。いや、確かに最近の国会議員どもは、コントっぽいことばっかやってるけどね。
そんなニュースの中で、学校の始業式の話題が聞こえてくる。新しい年度も始まって、そういうシーズンだったなと改めて気づかされる。私は顔中、洗顔クリームまみれのまま、恋歌に声をかけた。
「あんた学校は?」
「九段坂恋歌は死んだのです」
「オバケに学校はないって言うつもり?」
「試験もありません」
「251キロバトル。落選です」
私は顔をすすぎながら、恋歌のボケに辛口の採点をした。しかも恋歌にわかりやすいように採点基準はNHK仕様だ。
「え〜。どうして〜」
メイクを落としてスッキリした私を、不満げな顔をした恋歌が待ち構えていた。
「ネタが私と同一でよみやすくベタすぎ。その割に出典が古い。一般大衆に知れ渡っているネタという点では評価に値するが、オリジナリティに欠ける。よって勝ち残れません」
「何それ。先にそのネタを言ったのそっちなのに。でもそのシビアな判断、さすが私が相方に選んだだけはあります」
誰がお笑いコンビだ、こんちくしょう! 私はピンだってやってけるの!
「で、あんたホントに学校は?」
「本当にありません」
「義務教育でしょ。ちゃんと学校いかないと就職出来ないよ。ちゃんと働かないと白いご飯食べれないよ」
「今は玄米の方が値段高いでしょ」
「料理作らないくせに、よく知ってるわね」
「ウィンドショッピングが趣味ですから」
「スーパーでウィンドショッピングすな」
「試食は、最低三回は回るのが礼儀なのです」
嫌な客だな。いや、何も買わないなら客ですらない。
「……そういえば、私のいない昼に何食べてるのかと思ってたけど、まさかスーパーの試食でお腹満たしてたって言わないでしょうね?」
「この国は飽食すぎるのです。世界中には何億という飢餓状態の人民がいるのに、ご自由にお食べ下さいとは何たる傲慢!」
まるでどこぞの指導者みたいに演技がかって恋歌は言う。それなら『九段坂恋歌はなぜ死んだっ!』とかぐらいやって欲しいものだ。
「そんなNHKの特集で仕入れたネタはいいから。結局その傲慢とやらを食べてるのでしょう?」
「大変美味しく頂いています。でも最近、私が店に行くとパートのおばちゃんが警戒して困ってます」
ホント嫌な客だな。だから、客じゃないのか。
「シマ変えようかしら?」
おお、被害地区拡大? あんたはどの流しだ。
「でもさ、そんな真っ昼間からスーパーに行ってたりしたら、補導されるわよ。今日から学校始まってるんだし」
この辺りの地区の学校は今日が始業式で、明日からは子供はみんな普通に学校へ行く。そんな時間帯に街をうろうろしていたら、当然、大人に目をつけられるってもの。
「うっ、何たる巧妙な罠なんでしょう! それでは食料の確保がままなりません。兵糧攻めとは最も効果的で非人道的な!」
あんた本当に子供か? 妙にボキャブラリーあるし。あっ、単にNHKの見すぎか……。大河ドラマの影響ってのも考え物だ。
「だから学校に行きなさい。給食が待ってるよ」
「むぅ。給食には惹かれますけど、高校も卒業したのに、まだ学校に行けと言うのですか?」
いや、確かに九段坂恋歌は私と一緒に高校を卒業したけど、それあんたじゃないから。
「よし、ちょっと整理しましょう。あんたは自分を九段坂恋歌と主張しています。九段坂恋歌は既に義務教育を終えた成人です(もう死んだけど)」
少女が当然と言わんばかりに首肯する。
「この際、私がどう思っているかは関係ありません。この一般社会があなたをどう見るかが問題です。あんたはどこからどう見ても小学生、頑張って中学生です。春休みが終わった今日以降、あんたが学校のある時間に外をうろつけば、即補導されます。はい、決定です。ゲ〜〜ムオーバーっ!」
私が順序立てて事実を突きつけたので、恋歌はシュンとしてしまった。その方が年相応に見えるのがこの少女の変なところ。子供は元気な物という常識は恋歌には当てはまらない。
「……そう。つまり、昼は部屋にヒキコモっていろと言うのね。やはりNHKの陰謀ですね」
「違う!」
「だったら、街中では警察に見つからないように某潜入工作員ばりに隠密行動をとれと? 大佐、応答を、大佐!」
「だから違う!」
「え? じゃあ、警察官と真っ向勝負でなぎ倒すのですか? それちょっと無理。ベレッタとかコルトパイソンとか、出来れば硫酸弾があればなんとか」
「殺すな! 何、そんな物騒なこと言ってるのよ!」
「ふ〜ん。あなたゲームネタにはうといんですね」
ん? 今のはゲームネタだったのか。私も精進せねば。まぁ恋歌が子供らしくゲーム知識があったことは誉めないとね。
「とにかく真面目に学校に行け!」
「え〜。だって九段坂恋歌はもう死んでいるんですから戸籍もないんだよ。学校なんて行けるわけがありません」
「あんたね。いい加減にしないと私も怒るわよ。まぁ、春休み中の家出ぐらいはいいと思ってたけど、これ以上は許しません」
そりゃ、九段坂恋歌を追い出してしまうのは、ちょっと可哀想だけど、それでも私は心を鬼にして、彼女を突き放した。
「え〜。だって〜〜」
「そんな可愛い子ぶってもダメ」
くねくねと駄々をこねても断固拒否。すると恋歌は視線を落として消沈する。ちょっとは私の言葉が効いたみたいだ。
「……わかりました。明日行ってきます」
そう素直になった恋歌を意外に感じた。もっと抵抗するかと思っていた。
「ホントに行くんだね?」
「……はい」
「じゃあ明日、部屋を出て行くんだね?」
「……はい」
しょげた返事をする少女の頭を、私は優しく撫でてやる。
「じゃあ、今日は一緒に寝ようか」
これまでは別々に寝ていたけど、今日は特別。私は彼女をギュッと抱きしめた。
「……うん」
私の思いが通じたのだろうか、恋歌と名乗る少女は明くうなずいた。
翌日、私が会社から帰ると、部屋は当然のように真っ暗の無人。たった二週間だったけど、二人で過ごした生活は嫌じゃなかった。独りで食べる夕食はちょっと物寂しい。
「あの子、何だったのかな。……また遊びに来てもいいって、言い忘れちゃった」
私は涙した。高校のクラスメイトだった九段坂恋歌の死を知ったときと同様に、私の瞳から涙がこぼれ出す。
追い出したのは私自身。でも彼女のことを思ってだ。こんな見ず知らずの私の所より、両親の所に帰った方が彼女のためになる。そう思って追い出したのに、私は寂しさに泣いてしまった。
ひとしきり泣いた後、静かになった部屋にガチャリと音がした。玄関の音だ。
涙を拭いて顔を上げると、そこにはもういないはずの少女がいた。
「あ〜。先に食べてるなんてひどいです。ちょっと遅くなったからって」
「ちょっと、どうしてここに帰って来るのよ」
「え? だってここに置いてくれるって言ったのはそっちです」
いや、確かに前に言ったけど。
「いや〜、も〜、あちこち回って疲れちゃった」
「ちょっと、何よ。あんたどこに行って来たのよ。実家と学校じゃないの?」
「はい。戸籍買って来ました。いやぁ。二十四歳、女性を探すのに苦労しました。改名手続きも面倒で」
ちょっと待てコラ。
「というわけで、私、成人女性です。はい」
家出少女・九段坂恋歌(仮)は、九段坂恋歌(二十四)になってしまいました。書類上は……。