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戦士団『砂漠の雁』。戦士団といっても所属しているのは正規の兵ではない。どちらかといえば傭兵団に近い。
にもかかわらず傭兵団と名乗らないのは、彼ら自身が自らを職業傭兵とは思っていないからで、彼らは有志で集まったクロセリカの自治警護組織であった。
しかし、単に町を守るだけでは活動資金が心許ない。そこで商隊の警護など傭兵紛いの仕事も受け持つが、本来は町に近付く魔獣や盗賊を討伐することを生業(なりわい)としていた。
教養のない者は『砂漠の雁』という名の由来がわからずに、変わった名前だと思うだろう。
雁とは伝説上の水鳥の名だ。天高く舞い上がり各地を旅する。空飛ぶことの叶わぬ人の身には近付くことさえ許されぬ神聖な鳥。
特に色が白い雁はエルトの地に封(ほう)じられたといわれている地神ディフェスの眷属とされている。
つまりエルト地方で雁といえば神の御使いであり守護獣である。従って『砂漠の雁』は町を守る戦士団には相応しい名といえた。
だが、砂漠の地エルトに水鳥は似付かわしくない。
神の在す土地とはいえ、実際に白い水鳥を見た者は誰もいないとされている。それこそ伝説上の聖獣だった。
そんな名を持つ戦士団の本部詰所で、大机を挟んで六人が座っていた。そこは決して広くはない詰所の中でも唯一まともな部屋。客人を通す為の応接室だった。
机に座しているのは『砂漠の雁』団長のキルビ、昨日酒場で呼び出されたオーディ、レイモン、ニータの三人、そして酒場に現れたケルケ・カナトとその横に座っているもう一人の客人。ミルミーア・リファという名の十一歳の子供だ。その子供はケルケの従者という紹介だった。
ムルトエから来たという一行、子連れの旅路とは危険極まりないのだが、ミルミーアの様子から行程の疲れは垣間見えなかった。ある種、旅慣れさえ感じさせる。
そして客人はもう一人いた。椅子はまだ空いているのに座ろうとしない男、コルッシュ・ムジカ。ケルケとミルミーアをクロセリカまでの道中を護衛して来た傭兵らしい。
弓使いらしく、屋内というのに弓を背負っている。その風貌から、長い年月傭兵として生き抜いてきたという風格が備わっていた。
その三人がケルケ達一行の顔ぶれである。戦士達が集まる『砂漠の雁』の詰所にいるというのに、三人とも緊張した様子もなく、坦々としていた。
ただ、ムルトエから来たという話なのに、ミルミーアとコルッシュはムルトエ人ではないということに、違和感があるのは確かであった。
互いに自己紹介が済んだところで、本題がケルケ自身の口から切り出された。
「私が研究員であることはお話しましたが、今回は地神ディフェスの遺跡を調査に来ました。あなた方には遺跡までの案内と護衛をお願いしたいのです。エルトの砂漠を渡るには『砂漠の雁』の皆さんにご助力を賜るのが一番だと聞きましたので」
昨日の酒場と何ら変わらぬ笑みを浮かべたまま、ケルケは一同の視線を集める為に大きな身振りを加えていた。
「神様の遺跡荒らしかよ。感心しねぇな」
レイモンが難癖をつけた。エルトで地神がどのように祀られているかを知っている者ならレイモンの意見に賛成するだろう。
「荒らすだなんてとんでもない。神が封(ほう)じられた地だというのに、エルトでは聖地が砂漠の中で放置されていると聞きます。我々は聖地の状況を把握して正しく神を祀るのです」
ケルケの低く通る声で恭しく述べた。
ディフェスの聖地、エルト砂漠の更に奥にあるという伝説の『白の砂漠』だ。
しかし、それは伝説でも何でもない。本当に実在する場所である。そのことを砂漠の民であるクロエ族のオーディはよく知っていた。
「ケルケさんはどの神の信仰者なんでぇ?」
またレイモンが口を挟んだ。どうやら昨日の酒場の一件をまだ根に持っているらしい。それはわざとらしい口ぶりだった。
「我がムルトエは北西の田舎とはゆえサーディーンの一国。ムルトエ人は皆、戦神の御許に」
不躾な質問にも、ケルケはゆったりと答えた。
「俺はあんたの信仰を聞いているんだぜ」
レイモンの言葉に、ケルケの目は見開いた。
今までの落ち着いた対応とは明らかに異なる反応。その言葉がケルケにとって、よほど大きな意味を持っていたことを示していた。
「レイモン、客人を挑発するんじゃない。ムルトエではトゥース以外の信仰が認められていないのぐらい聞いたことがあるだろう?」
キルビ団長の制止に、レイモンは気のない返事をし、不満気ではあったが口をつぐんだ。
鎖国的な国とはゆえ、ムルトエが戦神トゥースの教えを忠実に守る軍国であることは有名であった。
そしてムルトエ国のあるサーディーン地方は戦神トゥースが封(ほう)じられている地だ。
「ケルケさん。うちの団員が失礼したね。しかし、その疑問は私も感じる。ムルトエ人であるあなたがどうしてエルトに来て、地神の聖地に行く必要があるんだい?」
「確かにムルトエ国王は戦神以外の信仰を認めていません。しかし、他の神のことを知るのまでは禁じていません」
「信仰と仕事は違うということか」
ニータが唸るように言う。
「そのようなものです」
ケルケの顔に笑みが戻っていた。しかし、その隣に座っているミルミーアは頬を歪めていた。
やはり従者としてケルケに従っているとはいえ、子供は正直なもので、ミルミーアはレイモンに不快の視線を送ると
「お前等、戦神のこと何にも知らないんだな」
と呟いた。
「なんだとてめぇ!」
「レイモン。子供相手に熱くなるな」
再びキルビがレイモンをたしなめる。どうにもレイモンが短気を起こしている。
昨日の因縁があるにしろレイモンは『砂漠の雁』でも古参の団員で、普段は人望も厚い人物だ。しかし、ケルケ達を前にして少々虫の居所が悪いのだろう。
それだけレイモンにとって酒場の一件、特にケルケに力で押さえつけられたことが屈辱的だったのだ。
レイモンの心中は察するが相手は客人である。キルビは怒気を帯びた目でレイモンを制した。
そんな中、オーディが独り言の様に小さな声で呟いた。
「神々のことなんて、俺達は何にも知らないんだ……」
皆、オーディの呟きが聞こえたのだろう。口をつぐみ、一同は黙してしまった。
『七つ世』という言葉がある。この世界には七柱の神々が封(ほう)じられて創世されたことを意味するものだ。
史跡や古文書などに度々使われている言葉で、幼い頃、神話を子守歌に聞かされた者なら誰でも知っているだろう。
神話に現れる七柱の神。
雄々しき武の神、武神ハイスト。
戦と兵法を司る、戦神トゥース。
神々を束ねる大神、統神フェンシル。
式事を取りなす、祭神ペルパ。
生の恵みを与える、地神ディフェス。
全てを公平に裁く、裁神ピアス。
そして、死を識る、冥神ヘアレント。
その神々は神話に謳われるだけの存在ではない。七神それぞれが世界各地に封(ほう)じられ、この世界を維持しているといわれている。それと共に各地に神を祀った神殿や、聖域といった物も存在する。
だが、各地に封(ほう)じられたという神をその目で見た者はいない。神は人の前にその姿を現さないのだ。
地神ディフェスの地と言われるエルトにいたっては、地神の聖域すら伝説の地に成り果てている。
「ケルケさん、サーディーンには戦神が封(ほう)じられているそうですが、あなたは神に会ったことはあるんですか?」
ニータが聞いた。しかし、ケルケは首を横に振る。
「サーディーンにも多くの聖域が遺されていますが、神がどこにいるかはわかっていません。しかし、その力は健在です」
そう、世界の生きとし生けるもの全てが、神の恩恵に与っている。それは否定しがたい事実であった。
それなのに、神は人の前に姿を現さない。
「世界は御神を失い。七つ神もまた、人を見放した。かくして世界は人の世に……」
「ケルンガミント叙事詩の一節ですね」
ニータが詠んだ句にケルケが応える。
「しかし、それは著者の創作であって、本当の神話ではありません。叙事詩には神の在り方が書かれてありますが、それが真実かどうか、疑わしい話です」
ケルケは学者らしくその博識をひけらかす。
ケルンガミント叙事詩とは、二百年ほど昔の作家が記した書簡体の小説だ。
あまりに神秘的なその文体と神話を細かく調べ参考にした独特の世界観から、本当の神話だと勘違いする人が多い。
「だからこそ、神が今どのように在すのかを調べることに意義があると思いませんか?」
冷静な言葉使いだったケルケの口調に熱が帯びてくる。それがオーディ達にも伝わり、ケルケがこの調査にかける思いを察した。
「単刀直入に言いましょう。私は『白の塔』に行きたいのです」
ケルケの言葉はオーディに向けられたものだった。そのオーディの奥歯が軋みを上げる。
「キルビ姉ぇ! 喋ったな!」
先程のレイモンとは比べものにならない程の怒声をオーディが吐き捨てる。
普段大人しい性格のオーディが声を荒立てるなど、レイモンと口論するとき以外に見せるのは珍しいことだった。
怒りの矛先であるキルビは、耳を塞ぐような身振りをして身をすくめた。
「……そうは言っても、これも仕事だしねえ」
オーディと目を合わせようとしないキルビだったが悪びた様子はない。
「ケルケさんが『白の塔』の場所を知っている人を紹介してくれ、って言うもんだからさ、つい」
『白の塔』というのはエルトに伝わる伝承だった。
エルトの地に封(ほう)じられた地神ディフェスは、エルトの砂漠の北に広がる聖地『白の砂漠』にいると言い伝えられている。
そして『白の砂漠』のどこかには、『白き塔』があるとも。
それこそが地神ディフェスの住まう神の地なのだ。
だが『白の砂漠』に入ったという者はいない。入れば帰って来られぬとか。
そもそも『白の塔』は存在しないと言う者もいる。それだけ不可侵の土地であり幻の場所なのだ。
しかし、たった一人。キルビの知る限りたった一人だけ『白の塔』を見た者がいる。それこそが義弟のオーディだった。
「クロファリ村出身で、『白の塔』に行ったことがある人物。更に護衛として戦力にもなる。案内役としてはこれほど最適な人物はありません」
ケルケの言うことは的を射ている。当事者であるオーディが聞いても実に合理的な意見であった。しかし、彼は額に深い皺を寄せ、苦虫を噛み潰したような顔をした。
オーディの故郷、クロファリ村。エルトで最も古き集落。クロエ族発祥の地にして、地神ディフェスに最も近き人々の住まう村。
「オーディ、依頼を受けるか受けないか、判断はお前に任す。ただし、これは『砂漠の雁』に来た依頼だということを忘れるな。個人的感情で判断するなとは言わない。たださ、もう四年だ。私は、お前はもう一人前だと思っている。昔のことにケリをつけるにはいい機会じゃないかい?」
キルビは団長として義姉として、オーディを信じると言っている。そのことがオーディにとって嬉しくもあり、辛くもあった。
「オーディ君」
その名を呼ぶと、ケルケは席を立ち上がり、オーディの元へとやって来た。
何事かと一同は目を丸くする。そして、耳元に顔を寄せてきたケルケはオーディに耳打ちした。
『神なんていないこと、一緒に証明しませんか?』
「なっ!」
あまりのことに、オーディは急に立ち上がった。自分が動揺していることが手に取るようにわかる。
鼓動が高鳴り、頭の中でケルケの言った言葉が山彦のように何度も駆け巡る。
「なんのつもりだ!」
ケルケが耳打ちした内容は他の誰にも聞こえなかったのだろう。オーディが突然騒ぎ出したことに、皆は呆然としていた。
「ええ、オーディ君のあらかたの事情は団長さんから聞きましてね。あなたなら私に賛同して頂けると思ったのですが、見当外れでしたか?」
「そ、それが、どういう意味だか、……わかっているんですか?」
オーディはしどろもどろになっていた。頭が混乱する。
『七つ世』のこの世界に神がいないだなんて、このムルトエ人はとんでもないことを言い出したのだ。それは天地開闢を覆す暴言。
「私はそういう調査をしているのですよ」
ケルケの追い打ちにオーディは唾を飲み込んだ。その音がやけに大きく聞こえた。
冷静になれ。自身にそう言い聞かせるが、心中湧き上がる衝動を抑えるのがやっとだった。
オーディが騒ぎ出したというのに、ケルケの連れであるミルミーアやコルッシュは涼しい顔をしている。
二人にはケルケが耳打ちした内容が想像出来ているのかもしれない。
オーディは席に座り直し、落ち着いて考えようとした。
しかしそう簡単に心臓の高鳴りが収まるはずもない。
これはケルケの思惑にはまっている。そう自分に訴えかけるが十四の少年にそこまでの自制を求めるのは酷であろう。
『神がいない』。その言葉がオーディの心中を何度も何度も駆け巡っていた。
そんな考え、したこともなかった。幼き頃から神話を聞かされてきた。
世界に封(ほう)じられた七つ神。
大地の恵みを食すときは地神に感謝を捧げ、戦いに赴く時は戦神に勝利と無事を祈る。
婚礼の儀では祭神が二人を結びつけ、罪を犯せば裁神が裁く。
武神の孤高な魂が人に生きる強さを与え、死ねば冥神が安らかな眠りを与える。
そして神々を統神が束ね、この『七つ世』が保たれている。
そんなものは世界の常識だった。どこの村の子供でも知っている。
それなのに、この男は『神がいない』と言った。
そんな馬鹿な話があるか。そう思っても、もし本当に神がいないのなら、そんな非現実的考えがオーディの心を揺さぶっていた。
「どうです、オーディ君? 手伝ってくれませんか?」
ケルケはにこやかな顔で言う。
そこでオーディはケルケの本性に気付いた。オーディの経歴を知っての言動。人の弱い所を平気で突く。利益の為なら何でも利用する。ケルケ・カナトという男は笑顔の裏で、計算高い性格をしているのだ。
「オーディ、判断というのは一瞬でするものだ。悩んだあげく出した答えは、大抵間違っている」
キルビの忠告が耳に痛い。レイモンとニータも、オーディがどのような回答をするのか、固唾を飲んで見守っていた。
オーディはクロファリ村のことを思う。
故郷のこと。自分が飛び出したあの村。そしてあの真っ白な砂の海。今でもありありと覚えている。
脳裏に浮かぶのは四年間の出会いと別れ。そしてオーディは決断した。
「わかりました。引き受けます」
「おお、それはありがたい」
ケルケは更に頬を緩ませる。見れば、重苦しい話に嫌気が差したのだろう、話が一段落したとみるとミルミーアが椅子から足を投げ出していた。
「キルビ姉、ただし条件がある」
やっと話がまとまり緊張感の解けた部屋の空気が、オーディの改まった声に、再び引き締まった。
「オーディ、なんだっていうんだい?」
「『砂漠の雁』からは俺一人で行くよ」
その一言に、キルビの顔が見事に引きつった。
「てめぇ! なんのつもりだ!」
キルビに注意されてから大人しく話を聞いていたレイモンが怒鳴り声を上げた。
別にオーディとレイモン達が常に組んでいるわけではない。別々に仕事をすることもある。
しかし、この場にレイモンとニータも呼び出されているということは、キルビは前の仕事に引き続き、この三人を割り当てるつもりだったのだろう。
それをオーディが拒否したのだ。
「理由、聞かせてもらおうか」
ニータも不機嫌な声になっていた。
このエルトの地で生きる彼らは砂漠の危険性をよく知っていた。
警護対象のケルケ達を戦力として数に入れても砂漠を縦断するであろう今回の旅路は危険極まりない。
それは前回の街道を行く商隊警護などと比べるべくもない。
であるのに、仲間の同行を拒否するとはいかなる理由があるのか、問わずにはおれなかった。
「ケルケさん、『白の塔』に行くんでしょ?」
「ええ、最終目的地はそうです」
「『白の砂漠』に素人を連れて行くわけにはいかないから。足手まといは少ない方がいい」
オーディがさらりと言った。
あまりにも簡単な言葉に、瞬間、誰も反論の声を上げなかった。
しかし、レイモンの体がわなわなと震え出す。
「て、てめぇ……。ガキのくせに、誰が足手まといだと!」
怒髪天を衝(つ)いたレイモンが飛びかかった。
問答無用と拳を放つ。オーディはそれを避けようとはしなかった。
一室に乾いた破裂音が鳴った。
「ぬぅ……。てめぇ!」
レイモンが唸り声をあげる。オーディの頬を殴り飛ばすはずだった拳は、直前で大きな手の平で遮られていた。
それはケルケ・カナトの手。すらりと伸びた手が器用にレイモンの拳を受け止めていた。
「そういえば、昨日の借りはまだ返してなかったなぁ!」
「レイモン!」
堪らずニータが声を上げる。
「止めるな、ニータ!」
レイモンはそう返すが、ニータはその肩を無理矢理引いて制止した。
「止めないとお前が殺される。……団長に」
その言葉にレイモンの体が硬直する。そしてゆっくりとキルビの方に顔をやる。
見ればキルビがにこやか笑い、こめかみに青筋を立てていた。
「私の客人に手をあげようとするとは、どういう了見だい、レイモン?」
「レイモン動くなよ。団長の乱舞を食らいたくなかったら指一本動かすなよ」
ニータが言うまでもなく、直前まで乱闘寸前だったレイモンだが、体を完全に硬直させて冷や汗をかいていた。
「レイモン、座れ」
まるで蛆虫でも見る目付きをしたキルビの声。
どす黒い霧でも吐きそうな威圧を乗せて、その眼光が光る。
「はい!」
全身全力で椅子を直して座るレイモン。それを見てニータも一息ついた。
いい歳をした戦士にあるまじき態度だったが、それを笑う者など『砂漠の雁』にはいないだろう。キルビ団長に対して極々自然な接し方だった。
「オーディ、護衛を一人で行くというのは、『砂漠の雁』の戦士としての判断なんだな?」
キルビの問いにオーディは頷いた。じっとオーディの目を見つめたキルビは、やがていつもの溜息を吐いた。
「わかった。オーディ、一人で行ってこい」
翌日も雲一つ無い晴天だった。
詰所での一件から一夜明けて、早速、オーディとケルケ、その連れであるミルミーアとコルッシュの四人はクロセリカの街を旅立とうとしていた。
四人は六頭のウーパを用意し、水と食料を大量に背負わせていた。
ウーパとはウヅリと先祖を同じくする種の近い獣であるとされている。ウヅリが砂漠で生きられるよう毛を伸ばしたといわれており、ウーパは全身が長い毛で覆われて、立っているのに顔はおろか四肢さえ見えないという長毛の獣だ。
砂漠ではその毛が暑そうに見えるが、太陽の光を遮り、水分を保つ効果があるらしく、ウーパは砂漠でも生きていけるのだ。
しかし、家獣に調教しやすいウヅリとは違いほぼ野生種であるので、ウーパは大人しい獣ではあるが人にはあまり懐かない。深い砂漠に行く場合は暑さにウヅリが耐えられない為、ウーパを騎獣とするしかない。
オーディは、そんなウーパの毛繕いをしていた。砂漠に住むクロエ族ならではの慣れた手付きだった。
「オーディ……」
「キルビ姉。見送りなんてらしくないよ」
出立の準備が整ったと見たのか、普段詰所で雑務に追われている時間だというのにキルビが顔を出した。
「もう行くのかい?」
「川沿いなら昼でも歩けるから。なんかケルケさんは急いでるみたいだし」
そういうと、オーディは荷物をウーパに備え付け、自らも騎乗した。
「結局、あの二人も連れて行くのかい?」
キルビはケルケの連れであるコルッシュとミルミーアの方に目をやった。
見れば、ケルケ達も準備万端で既にウーパに跨っていた。
「どうしても付いてくるって言うものだから……」
オーディはケルケと二人で旅立つつもりだったが、ミルミーア達は同行すると言って聞かなかったのだ。
「キルビ姉、行ってくる」
オーディの言葉に何か含みのある視線でじっと見つめていたキルビだったが、諦めたように目を閉じると、両の手を胸元で組み、神への祈りを捧げた。
義姉が、一体どの神に何の祈りを捧げてくれたのか、オーディにはわからなかった。
しかし、祈りを終えて顔を上げたキルビの表情は暗いものではなかった。
「本当に一人で大丈夫かい?」
「ああ、この砂漠では、死ぬ気はないから……」
そう言い残して、一行は静かに出立して行った。
その行く先には砂漠の海しか見えない。
世界で最も過酷な地の一つに数えられるエルト。その広大な大地に彼らは挑むのだ。
じっとウーパに跨る彼らの背中を見つめ続けていたキルビ・レニー。一行の姿は砂漠の色の中に消えていった。
「……お前達、いつまで隠れている」
義弟達が旅立っていった砂漠から目を離すこともなくキルビ言った。
「へへへへ」
建物の陰から卑下た笑いを漏らしてレイモンが現れた。勿論、その横にはニータの姿もある。
「レイモンが、昨日の今日で顔を合わせにくいって、言いましてね」
そうして、二人はキルビに習い、砂漠の地平線に視線をやる。彼らも物陰からオーディ達を見送っていたのだろう。
「そりゃ、俺も心配なんですぜぇ」
「私達は、なんとも困った弟分を持ったもんだよ」
「全くです」
ニータは表情を変えず、キルビに同意した。
「アイツ死ぬ気だよ」
オーディが消えて行った砂漠の陽炎を見つめ、キルビ・レニーの口からそんな言葉が漏れていた。