第三章「砂漠の民と白の塔」
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乾いた風が顔に砂礫(すなつぶて)を打ち据える。
天を仰ぎ見れば真円の太陽。それはエルトの砂漠に何千年かわらずある不変の情景だった。
そして、その見渡す限り砂しかない景色の中に突然現れる石の砦。元は地神ディフェスを祀る古代の神殿だったと言われている。誰が作ったのかもわからぬ、広大な砂漠に取り残された遺跡。その上に作られた住居群こそが、エルトの古き民、クロエ族が発祥の地、クロファリ村だった。
クロファリの地に眠る岩城は、今ではその殆どを砂が覆い、地表に出ているのは本の僅かでしかない。
元の遺跡は、現在エルト最大の集落であるクロセリカの町全体よりも遙か大きい巨大建造物だったと村の伝承に残っているが、それが真実かどうか知る者もいない。
ただ、今ではその岩城も砂に沈んだまま、クロエ族が生きる村の土台としてだけの役目を負っているのである。
そんなクロファリ村を目の前にしてオーディ達一行は足止めを食らっていた。
「我々は歓迎されていないようですが、私の認識に間違いはあるでしょうか?」
ケルケ・カナトが恐る恐る言った。
元から細長い猫目を更に細くして、ケルケはどうしたものかとはにかんだ。その目前には真っ黒に焼き付けられた刃が突き立てられている。
「みたいですね……」
周りを武器を持った人々に囲まれた状況でも、オーディは割と落ち着いた様子だった。
その背後でコルッシュ達は、何とかしてくれという視線をオーディに送っていた。
オーディ達の周りを囲んでいるのは無論のこと、第一目的地だったクロファリ村の住人だ。それはオーディと同郷の者であることも指し示す。
目の前にはクロファリの村。地神の遺跡に残っていたという石壁には継ぎ目がなく、まるで一枚岩の如くに見える。その岩壁がぐるりと村を取り囲み、村を強固に守っていた。
その守りは外敵だけでなく、砂漠の砂風からも村を何千年と守り続けている。
現在のクロエ族にそんな壁を作る技術などありはしない。この岩壁が連なる古代の遺跡の上に作られた村こそがクロファリ村であった。
人の身では到底造り得ない神代の頑強な壁があるからこそ、砂漠のただ中にクロエ族の集落がたった一つで存在し得るのだった。それも地神ディフェスの恩恵の一つであろう。
そのクロファリ村に着いたオーディ一行は、村の門前で誰何(すいか)される間もなく、武装した村人に取り囲まれていた。
「これ、なんか好戦的?」
ミルミーアが疲れたように言う。その表情は村人を刺激しないように柔らかいものだったが、手はゆっくりと腰に下げている短剣へと向かっていた。それをケルケが黙って手で制した。
元より一行は、戦う為に来たのではない。それに砂漠の旅路で一行は体力の限界が近付いている。戦闘となれば圧倒的に不利であった。
「いや、旗を持ってないので警戒されているだけだよ……」
「旗? 何じゃきにそれ?」
流石に弓を構えるわけにもいかず、お手上げと事の成り行きを見守っていたコルッシュ・ムジカがオーディに聞いた。
「こんな場所です。村に来るのは交易旅隊の商人だけ。村に来る商人は旗を揚げることになっています。旗を揚げてなければ招かれざる客と認識され、こんな風に迎撃体勢がとられる……」
「そげんことなら、その旗の何やら、用意しとらんのけ?」
コルッシュが呆れ、顔に手を当てる。そんな極々普通の仕草にも応じて村人の武器が揺れる。武器を向けられているにもかかわらず、危機感を覚えている様子のない一行に、村人の警戒心は高まる一方だった。
「我々は商人じゃありませんからね。エルトの商人組合はそんな重要な物、部外者に貸してはくれない。そういうことですか?」
結論をとりまとめ、ケルケが冷静に言った。その考察にオーディは首肯する。
「この村の情報も集めていたつもりでしたが、それは初耳でしたね」
「そりゃまぁ、みんなが旗を揚げなければならないことを知っていれば意味がないし。村人と商人の間の密約だから……」
「お前達、なぜそれを知っている。どこかの商人か?」
一人の村人が脅しを利かせた低い声を出す。オーディ達の会話が聞こえていたのだろう。その不機嫌な声は、村人達の猜疑心を表したものだ。
「どげんしてこんな扱い受けるけんね? オーディはこの村の生まれじゃろ?」
わざわざ村人が聞き取れるように強調したコルッシュ。その言葉に一番近くにいた村人の眉が跳ね上がった。そして見るからにクロエ族とわかる帯衣の衣服をまとったオーディに視線を向けた。
「オーディだと?」
さっきよりも癪に障る声を村人が上げる。そして村人達から訝しげな視線が一斉にオーディに集まった。
クロエ族はエルトの地に古くから住まう民である。
だからこそ、その血脈は各地に散って、今では広いエルトのあちこちにその居住地を広げている。そうなると混血が進み、純血のクロエ族の数は年々減少の一途を辿っている。
それに危機感を覚えた数代前のクロエ族族長の命で、クロエ族発祥の地であるクロファリ村に他の部族を近付けないようにしているのだ。
それゆえに、純血のクロエ族であり、クロファリを姓(かばね)に持つオーディの存在に意味があった。
「そうです。こちらにはオーディ・クロファリがいます!」
村人の警戒を解こうという意図があるのだろう。ケルケ・カナトが演技じみた声を張った。
しかし、それを止めたのはオーディ自身だった。
彼は顔をしわくちゃに歪め、苦渋の表情を浮かべていた。
「やめてください、ケルケュさん。やめて……ください……」
オーディの制止の声は弱々しい。顔を地面に向けて目を伏した。
それは村人と目を合わしたくないと言わんばかり。ただ名を出されただけなのに、オーディは今にも逃げだしそうな様子だった。
村人達からは、まるで輪唱するかのように、オーディ、オーディ、と囁き合う声が聞こえてくる。
確かにオーディの名は村人達のよく知るものだったのだろう。しかし、久方ぶりに帰ってきた同胞に、親しげに話しかけようとする者は誰もいなかった。
ミルミーアの脳裏に自身の過去が過ぎった。周りの全てから邪魔者と弾かれて生きていく辛さをミルミーアは知っている。ミルミーアは顔を伏せたままのオーディの心中を察した。
村人の冷たい視線は留まることを知らず、一行の存在を排除すべき対象へとして貶めていく。「なぜ帰って来た」「村の決まりに従えない者」そんな言葉があちこちから聞こえてくる。
その騒めきを一喝する厳しい声が上がった。
「確かにその浅い肌の色。オーディだな」
村人達が息を呑む。そしてオーディ達を取り囲んでいた村人の輪が騒めき立って割れていく。
その裂け目の中から一人の老人が現れた。
オーディよりも更に黒い漆黒の色。そのクロエ族独特の肌の上に、真っ白な髭が浮かび上がるように伸びている。
ただでさえ低い背を丸め、杖突く姿はかなりの老齢を感じされる。
短命なクロエ族にして、これほど歳を重ねた人物は珍しい。
「長老……」
オーディが捻り出すように小さい声で言った。その目は懐かしむでもなく、縋るものがないだけの泳いだ悲しい目だった。
「四年と二十七日ぶりか……。今更、何しに帰って来た?」
オーディに長老と呼ばれた人物が問う。
彼はクロファリ村の村長である。それはつまりクロエ族の族長と同義。その発言力、影響力はエルト地方一と言っても過言ではない。その長老もオーディの帰還を歓迎している様子は全くない。
「本当にオーディかよ!」
どこからともなく、村人の上げた声が聞こえてきた。それはまるで非難するような声だった。
オーディが村を出たのは四年前。その時はまだ十になったばかりだった。
子供が四年も経てば、成長するのは当然のこと。顔付きも大いに変わっただろう。
「オーディ?」
ミルミーアがオーディに声をかけた。その声は心配の色に染まっていた。それは一行の窮地に対するものではない。村人を前に何も言えないでいるオーディに対してだ。
自分より年下の子供にまで心配をかけているのを知り、オーディは歯を食いしばって顔を上げた。
覚悟して戻って来たはずだった。村人に帰還を歓迎されるだなんて、欠片も考えていなかった。これはクロセリカの町を出るときから予想されたことだ。
義姉のキルビ・レニーは「昔にケリをつけろ」と言った。この四年でオーディは戦士として生きる力を得た。しかし、その心根は四年前と何一つ変わってはいない。
これはオーディに課せられた通過儀礼だ。
クロファリ村のことを、四年前のことを乗り越えなくては、オーディは一歩も前に進めない。
本人だってそれを自覚している。だからケルケ・カナトの依頼を受けたのだ。
そして、それは誰の力も借りるべきではない。そう思ったからこそ、ニータやレイモンの随伴を断ったのだ。
オーディは村人からの冷たい視線を一身に受けたまま、一つ大きく深呼吸し、長老の前に歩み出た。
そして右手を左胸にあて片膝を突く。それはクロエ族に伝わる正式な跪礼(きれい)だった。
「御神の五番目の御子、その血脈を受け継げし県守(あがたもり)が末裔にしてクロエが一つの姓を賜りし、オー・ディ」
それは呪文を唱えるように軽やかに詠み上げられた。
ケルケ達は何事かと戸惑ったが、村人達は皆、神妙な面持ちに変わっていた。
「故あって村を離れましたが、ただいま戻りました」
そう宣言してオーディは深々と頭を下げた。
先程の皆に見られたくないと顔を伏せていたときとは違う。クロエ族の一員として、族長たる者に頭(こうべ)を垂れたのだ。
その礼の意味をわからぬ者はこの場所にいない。ただ一人、ミルミーアだけは目を白黒させていた。
一時、誰も口を開けぬ間が重苦しい。
誰も長老とオーディの間に割り込むことは出来ない雰囲気が漂っていた。
砂漠の乾いた風音だけが吹きすさむ。長老は頭を下げたオーディをただ見つめていた。
「オーディ……」
突然に訪れた厳粛な空気に耐えられず、ミルミーアはその名を呼んだ。それが切っ掛けになったのだろう、堰(せき)を切ったように村人達が騒めき始めた。
長老は目を瞑り、もう一度、場が静かになるのを待った。
その間、オーディは指一本動かさず頭を下げ続けた。
「オー・ディ・クロファリ。『戻った』とは『還って来た』という意味か?」
長老が、やっとのことで口を開いた。その声に不機嫌の色はない。逆に感情を全く見せず淡々としていた。それはクロエ族の族長としての責務を担う声だった。
「いえ、また出て行きます」
オーディは顔を上げ、長老の目を見た。そして決意を示すように断言する。
今のオーディにとってクロファリ村は生まれた場所であっても還る場所ではない。それをはっきりと、一族をまとめる者に伝えたのだ。
つまりそれはクロファリ村との正式な決別を示すものだった。
「では、何しに戻った? 『砂漠の雁』とかいう、ふざけた名前の奴か?」
「ご存じでしたか……」
「ああ。何年か前に、何とかという女が、お前が生きていることを知らせに来た」
その言葉は、オーディにとって意外なものだった。
恐らく女とはオーディが村を離れてから世話になっているキルビ・レニーのことだろう。あの天真爛漫な義姉がそんなことをしているとは知らなかった。
「『砂漠の雁』の仕事です。このケルケ・カナトという方から、エルトの史跡調査をしたいと依頼がありまして、その案内をしています。しばらくの村への駐留と遺跡への立入を許可して頂けませんか?」
そうしてオーディは再び頭を下げた。それに合わせケルケ・カナトも脱帽してそれに倣う。髪の毛一本ないケルケの頭に砂漠の太陽が反射する。
「ケルケ・カナト……。ムルトエ人か」
流石に長らく生きているだけはある。一目見てケルケがムルトエ人であると長老が見抜いた。そしてそのまま威圧的な視線でケルケを睨み付ける。
村の代表として、村に踏み込んできた余所者を品定めしているのだろう。
しかし、ケルケはそれを物ともせずに微笑み返して見せる。
まだ少年のオーディとは比べるまでもないが、ケルケ・カナトという人物の胆力を改めて思い知らされる。
「……なら、好きにするがいい。そやつらの行動にはお前が責任を持て、オーディ。それが『砂漠の雁』とやらの責務であろう」
長老の許しの言葉を聞いて、村人達が一斉に騒ぎ出した。
それはあまり好意的な反応ではなかったが、もうオーディ達に武器を突き付ける者はいなかった。