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「ほう。勘のいい奴め」
将軍の一言で辺りが騒めいた。
将軍がその一言を発するまで、皆、オーディは斬り殺されたものだと思っていた。しかし、床に伏せたオーディが僅かに呻いていた。
将軍による瞬速の斬撃。まともな回避は間に合わなかった。オーディはなりふり構わず刃をかわすことだけに集中した為、体勢を保つことも出来ず、床に伏せるにも受身すらとれなかった。
そして、自ら身を投げ出して床に体を叩き付けられたオーディは、斬りかかられた危機的状況にも、未だに起き上がれずにいた。その首筋に今度こそ魔剣の切っ先が突き付けられる
「このような下賤の者、何も閣下のお手を煩わせずとも」
ラーク将軍の行動に驚いていた副官であったが、オーディがまだ生きていることを悟ると、反りの入った長剣を抜刀していた。
「わざわざ、閣下の宝剣を血に濡らすこともありませぬ。我が斬刑の業で始末致しましょう」
この副官。名をクロビス・アエンティという。斬刑の業というのも、彼は代々ムルトエ国で処刑人を生業(なりわい)とする家系の生まれで、その長剣で数々の首を刎ねてきた武闘派の男だった。
「好きにせい」
吐き捨てるように言うと、ラーク将軍は魔剣を納めた。
今こそ隙だとオーディが跳ね起きる。しかし副官はそれを許さない。間髪入れず、オーディを殺すべく薙ぎを放っていた。
それも既(すんで)のところで転がり、オーディは事無きを得た。
「はは、卑小な辺境の民は逃げるのが上手いと見える、しかし」
床に手を突いたまま、まだ立ち上がれずにいるオーディに、クロビスという名の副官が見下した言葉を吐く。そして、その長い長剣を肩口で斜に構える。それが彼の本来の構えであるとオーディも本能的に察知した。
「や、めっ!」
ケルケの魔法で束縛されているキャロルが大声を上げた。彼女の全身が薄緑の光を帯び始めている。力ずくでケルケの拘束の法を破る気だと知ると騎士達一同に動揺が走った。彼らもキャロルがどういう存在か把握しているのだ。
咄嗟にケルケが手をかざす。再び彼女の力を抑え込もうというのだ。
緑と赤の光が交錯する。空気がひび割れるような音がした。
「ケルケっ! 何をしている!」
オーディを殺そうとしていたクロビスがそれどころではないと、非難の声を上げた。
「わかっています!」
ケルケ・カナトも叫び返すが、それ以上の余裕はない。『白の塔』、その守護者の抵抗を抑え込むのだ。それも当然だ。
「警告します! あなた方を危険な人物と認識しました」
ケルケの拘束が緩んだのであろう、キャロルの目に力が戻り、爆ぜるように通告の言葉を吐いた。
その威勢の良い言葉とは裏腹に、ケルケが作る光の円環は増え続け、キャロルを抑え込もうとしていた。
「しかし、私達を殺すことは出来ないだろう? お前達はそういう宿命を負っているはず!」
「そこまで知っているとは、どこの手の者です」
二人の力の拮抗は更に増していく。溢れ出す二人の光が擦れ合い、塔全体を震わせるほど。
キャロルとケルケ・カナト、二人が中心となり光の渦が蠢き出していた。
皆、その人智を越えた魔法の力比べに見入っていた。
割って入ろうものなら一瞬で粉微塵になるだろう。訓練されたムルトエの軍兵さえ二人の戦いを見守るしかない。ただ一人を除いては。
「ケルケ、なまぬるいではないか」
その声が異常に近くから聞こえたことにキャロルは驚きを隠せない。
恐らくはキャロルの魔法の光であろう薄緑色の光が渦巻く奔流の中にラーク将軍はいた。既にその斬撃は始まっている。
構えられた魔剣の橙光がキャロルのまとう緑光を引き寄せ打ち消していく。
その瞬間、キャロルはケルケ・カナトなどに構っている場合でないと知った。しかし、ケルケの魔法に抵抗するだけで手一杯の彼女では、どうすることも出来なかった。
息が止まりそうなほどの一瞬。
キャロルが斬り捨てられるのをオーディは見ているしかなかった。
割って入ることは距離的にも、時間的にも、そして実力的にも不可能だった。
橙の一閃がキャロルを袈裟に薙ぐ。
「キャロル!」
オーディが叫びを上げた。それも虚しく、キャロルの体から床に何かが落ちる。
それは腕だ。キャロルという少女の腕が肩口から完全に斬り落とされていた。
斬撃に晒されたキャロルの体は光を急激に失っていく。
「閣下。お手を煩わせて申し訳ありません」
今度こそ完全にキャロルの体を光の円環で抑え込んだケルケが頭を下げていた。
「人外の者が相手だ。油断したな」
どうやら将軍は気にした様子はなく、動きを封じられたキャロルに近付いていく。
たった今まで魔法の光を発していたキャロルに近付くのを危険とすら思っていないのだろう。
それは彼の実力に裏打ちされた行動に見える。
キャロルの顎に手をやると、将軍はその顔を物珍しげに見分した。
少女の顔に表情はない。腕を切り落とされた痛みも感じていないように見える。
その斬られたはずの肩口は綺麗な断面を晒している。それなのに血は全く出ていない。滴るはずの血の変わりに、白い何かが彼女の体から漏れ、床に垂れていた。それは彼女が人でない証明。キャロルはやはり人間ではないのだ。
しばしキャロルを観察していたが、それで興味を失ったのか、ラーク将軍はキャロルを捨てるように放し、オーディの方に向き直った。
将軍の視線に、キャロルの抵抗で中断されていたオーディの処刑を思い出したのかクロビスが長剣を構え直した。
じわりと嫌な汗がにじむ。オーディは自らの危機を改めて実感する。
今、オーディの周りは敵しかいない。
明らかに訓練された騎士団と、それを率いる化け物じみた将軍。そして魔法使いのケルケ。
勝算が全く見付からない。どう考えてもキャロルと同じく斬り捨てられる運命だ。
腰に下げた斧に手を伸ばしているが、どうすれば生き残れるのか、考るのも無駄に思える。
それでもこんな最期は認めたくない。戦士となり、いつかは戦場で死ぬと覚悟していたと言っても、こんな死に方は認められるはずがない。
斧の投擲で不意をつくと心に決めて、オーディは一番近いクロビスに狙いを定めた。
「お、でぃ」
腕を失い、力も封じられたキャロルが、訴えるような声を出した。
それを合図にオーディは全力で跳び下がる。
斧を投げる為の間合いをとったつもりだった。そこにクロビスが斬りかかる。
予想外だったのは彼(か)の副官の長剣だった。目算以上に長い。その刃が投擲を始めたオーディに襲いかかる。
『オーディ!』
その叫びはキャロルのものだった。
ケルケに封じ込まれた弱々しいものではない、塔中に響きそうな声。
床に落ちていたはずの彼女の右腕が、薄緑の光を放ち宙に浮いていた。その腕がクロビスに向く。
キャロルの力を抑え込んでいるケルケは、度重なる失態に肝を冷やした。
まさか腕だけで力が振るえるなど思っていなかった。
体は封じても、床に落ちた腕には無頓着だった。
狙われたクロビスは咄嗟にオーディへの斬撃を曲げ、その手に向ける。
しかしラーク将軍の魔剣とは異なり、クロビスの長剣は金属の塊に過ぎない。白き塔の守護者の光を完全に切り捨てることは出来はしない。容赦なくクロビスに向け猛烈な薄緑の輝きが放たれた。
「うぁぁぁっ! …………あ?」
光に襲われ反射的に閉じた目を、クロビスはゆっくりと開けてみたが、全く何ともない。
「一体……、何だ?」
疑問の声を上げ、クロビスは辺りを見回す。しかし魔法の光を受けたというのに体は何事もないし、自らの敬愛する上官のラーク将軍は健在で、この場で一番危険だと目される塔の守護者も束縛されたままだ。
ただ、宙に浮いていたその右腕がいつの間にかない。
先程の光は何だったのかと、疑問しか浮かばなかった。
「してやられたか」
将軍の呟きに気付かされクロビスは振り返る。
先程まで自分が斬りかかろうとしていた原住民の少年がいない。その事実に唖然とする。
「あの手が、そこから突き飛ばしたんですよ」
少し離れていたので冷静に見ることが出来たのだろうケルケが説明した。
彼が指差したその先は、壁に空いた大穴だ。先程までは、ケルケが作り出した転送の法の歪みがあったが、今はもう単なる空へと戻っている。
キャロルの斬り落とされた手が、そこから外へとオーディを突き飛ばしたのだ。
「私が、取り逃がしてしまった……。私は、私は何てことを! あぁ! 私はなんて無能な!」
頭を抱えて苦悩するクロビス。それにケルケが溜息を漏らす。
クロビスはいつもそうやって勝手に反省して落ち込む人物なのだ。
「この高さから落ちたのなら助かりませんよ」
本当はクロビスの落ち込みなど、どうでもいいのだか、キャロルを抑え込むのはケルケの役目である。自らの失態を隠すように、そう言って彼を慰めた。
そう、この場は天を貫く塔の上部。そこから塔の下へと落ちては、どんな者でも助かりはしないだろう。
「オーディ……恨らまんときや」
ムルトエの騎士団が現れてから、静観していたコルッシュだが、流石に極りが悪いのだろう。
冥神への祈りを行っていた。元々ムルトエに雇われた身、でオーディを利用していたとはいえ、共に旅をしてきたのだ。情が移るのも当然だろう。
「閣下、申し訳ありません。私の不手際で」
「よい。原住民の子供一人、どうと言うことはない」
「閣下! ありがとうございます! そうですよね。あんな子供、殺そうが殺すまいが我々の作戦には支障ありませんね」
クロビスのあまりに立ち直りの早さに、許したラーク将軍でさえ呆れてしまう。
「しかし、避けおったか」
「はぁ、どうかなさいましたか?」
「何でもない」
ラーク将軍の言葉の意味を理解する者はその場にいなかった。
それは本人にしかわからない。将軍がオーディに放った初撃の斬り落とし。絶妙の間合いだった。あれほど完璧な間合いで避けられたことは久しくない。いや、初めてかもしれない。
それ程の一撃をオーディは無様にだが無傷で避けて見せたのだ。しかし、死んでしまってはそれも意味のないことだと、ラーク将軍は忘れることとした。
「ケルケ、守護者の支配は大丈夫なのか!」
やっと、本分たる副官の任務を思い出したのか、クロビスが声を上げた。
「力の抑止はご覧の通り」
切り離された腕には驚いたが、将軍に斬撃を受けて以降、キャロル本体は完全にケルケの魔法に抑え込まれていた。
「白き塔の守護巫女よ。私と盟約を交わしなさい」
ケルケは動けぬキャロルに迫った。
「め、いやく?」
「しらばくれても意味はありませんよ、あなた方は盟約に従うのはわかっているのです」
「その、とお、りです」
「なら私と盟約を!」
「むり、です」
「人に従うことしか出来ぬ身でまだ逆らう気ですか」
「けい、やくしゃ、がすでに、いる……、ばあいは、けいやく、しゃの、きょか、がひつよう、です」
その途切れ途切れの声に顔をしかめたケルケは、その言葉の意味を知り歯噛みした。
「あなたは既に盟約者を得ていると言うのですかっ!」