*

 ラーク・ザークという男。今でこそムルトエ軍の征将軍として将の座に収まっているが、その昔は流浪の剣客だった。
 武侠として生き、野に屍を晒して死んでいくはずだった男が、何の因果か軍人と成り果てた。
 それは宿命や運命というには些か無粋で、彼が戦場であげた戦果は数え切れない。
 そう、時代が彼を求めたのだ。時はアレクドニアが天下を目指す戦乱の時代。ムルトエという小国がアレクドニアに対抗する唯一の手段がラーク・ザーク、その人であった。
 そんな覇道を行く大将軍が、こんな辺境の地で、子供と一騎打ちをするとは誰も予想だにしなかっただろう。
 もし彼の死後にその英雄譚が謡われるなら、この日の出来事をどの様に後世に伝えるのだろうか。

 オーディ・クロファリとラーク・ザークの戦いは静かに続いていた。
 続いてはいるが、もうそれ程長引かないであろう。
 オーディの死という結果は目に見えていた。それほど分の悪い一騎打ちだった。
 オーディは荒い息を吐く。
 体中に血がにじむ。将軍の魔剣を致命傷を受けず避けるので精一杯だった。幾度となく斧を振るうが、その度に斧は届かず、将軍の魔剣に体を削られる。
 その刀身の切れ味に寒気がする。撫でるだけで身に付けている皮鎧は裂かれてしまう。鈍(なまくら)なら難なく防ぐ帯布も無に等しい。
 体が傷付き、必死の回避に集中力を削られるオーディに対し、ラーク将軍はその巨体を微動だにせず静かに構えを取る。
 それなのにオーディが間合いに入って来れば、猛然とした瞬速の剣撃を振るう。明らかに格の違いを見せ付ける戦いぶりだった。
「もう終わりか、小僧」
 将軍がかける言葉は、オーディの心に重くのしかかる。「もっと力を出し切れ」「その程度で一騎打ちを挑んだのか?」色んな言葉にない意味が聞こえてくる。
 しかし、一騎打ちの舞台であるクロファリ村の広場をぐるりと囲むように観戦しているムルトエの騎士達は、もう誰もオーディを馬鹿にはしていない。
 将軍と数合打ち合って生きているなど、馬鹿に出来るはずがない。ムルトエの騎士団でそれ程の難行をやってのける者は皆無に近い。
 そして囚われた村人達は、祈るような視線をオーディに向けていた。
 オーディが何の為に一騎打ちなどと言い出したのかは、同郷の彼らにも理解に苦しんだ。
 ムルトエの者達をこの地に呼び込んだオーディを責める気持ちもないわけではない。
 しかし命を賭けて外敵に挑むオーディを応援したくなる。身にかけられた縄さえなければオーディの助太刀に入ってやりたい。そういう思いが村人達の心中に込み上げていた。
 そして瀕死の重傷を負っている長老は、虚ろな目を必死にオーディに向け、地神ディフェスへの祈りを繰り返す。
 オーディは焦っていた。勿論、勝てる見込みは薄いとは思っていたが、何より相性が悪い。
 ムルトエ人の中でも大男といえるラーク将軍に、大剣の刀身を持つ魔剣を軽々と振るわれるとあまりに間合いが長い。これでは懐に飛び込むことが困難だ。
 オーディの手斧が届くまで近付くという行為は、命をかけた長い道のりに思えてくる。
 ならば、オーディがいつも対人戦でして見せるように、斬撃を斧で叩き落とせばいいのだが、将軍が手にするのは橙の光を放つ魔剣であり、そう単純な話ではない。
 そんなものとっくに試した後だ。魔剣を止める為に振るった斧が、魔剣の軌道にあるにもかかわらず、何の抵抗もなく斬撃が振り抜かれたのだ。
 無論、斧は刃の中程で綺麗な断面を見せ斬り落とされていた。
 あの魔剣を相手に防御は全く意味を成さない。
 それでもオーディは斧を構える。
 一本となった斧を上段に構え、将軍の間合いへとゆっくりとゆっくりと足を滑らしていく。
 どんなに苦境に立たされてもオーディに退路など元からない。

 瞬時に一歩大きく踏み出す。
 それに将軍の薙ぎが振るわれる。
 全く容赦のない剣撃。間合いに入った瞬間に叩き斬る。オーディもそれがわかっているから、踏み出したのは足だけで、上半身は捻って反らす。
 その顔の直ぐ横を、橙色の光が触れるように流れていく。そして、そこが狙い目とオーディは魔剣を握った将軍の手に斧を振り落とした。
 何も狙うのは体幹である必要はない。しかし将軍もそれを読んでいたのか、小手を返して、返しの払いを打つ。
 魔剣の光がまた向かい来るのを察し、オーディは咄嗟に足の力を抜いた。その場に座り込むことでの回避。二の太刀が肩を掠めていった。
 なんとかやり過ごしたと気を抜けば死があるのみ。オーディは手で地面を突き放して、後ろに飛び退いた。そのオーディが座り込んでいた場所に、三の太刀が通り過ぎたのは言うまでもない。

 息を吐かせぬ攻防。
 またオーディが生き延びたことに観戦している騎士達がどよめいた。
「なかなか面白い動きだな。回避に型がないか……」
 まだ殺せぬことに焦りはない。将軍は冷静にオーディを目する。
 逆にオーディの心中は穏やかではない。決死の覚悟で間合いに入っていっても、今も結果は肩を刻まれた。腕の動きには支障がない軽い傷だが痛みはある。そして、将軍にまだ一撃も与えていない。
 ラーク将軍は自らの優勢など気にした様子がない。格下と侮らず感情の読めぬ視線をオーディに向けていた。
「小僧。まだ隠している技があるのなら、次で出すことだ。残念だがな、私は少々飽きた」
 将軍の手にした魔剣が鼓動する。そしてその鼓動に合わせ、刀身にまとう魔力の光量が増していた。
 将軍が一騎打ちを終わらせにかかる。それが周囲にも伝わった。

 風が止まったはずの砂漠の村に一陣の風が吹く。
 宝剣レディタンスを中心に力の波動が流れ出していた。
 オーディは肩でする息を整える。次が最後という宣告が現実味を帯びて感じられた。胃を切られるような緊張感が観戦している者にも広がっていく。
 先手! とオーディは心中叫びを上げて踏み込んだ。
 どうせ最後となるのならと全力の踏み込み。それと同時に体重を乗せた斧の右薙ぎ。
 勿論、将軍はそれに合わせて斬撃を放っていた。しかも今度は今までとは違う。将軍はやはり本気でオーディを殺しにかかる。
 最も避けにくい胴薙がオーディを襲う。間合いとしては相打ちではあるが、手斧と魔剣では割に合いわけがない。
 オーディは真上に跳んだ。まさか胴薙の回避に跳躍を選ぶとは、幾度となく戦場を駆けたラーク将軍でも思いもよらなかった。
 上に跳んだ分、僅かに二人の距離が遠くなる。
 これでは斧は届かない。当然、蹴撃が来ると将軍はオーディの足を斬りにかかった。
 しかしオーディの足は将軍に向かって来なかった。
 右薙ぎで大きく左に捻れたオーディの体。今度はその捻れが戻っていく。いつの間にかオーディは右手に持っていた斧を左に持ち替えていた。
 一本の斧による左右連撃。読みを外されてもなお、ラーク将軍は慌てず、半歩下がった。
 魔剣で防いでもいいのだが、今二人の距離は斧の間合いではない。半歩下がるだけで完全に斧は届かなくなる。
 ただ、ラーク将軍は不思議な感覚を覚えていた。オーディの振りかぶりに違和感がある。歴戦の剣客でもある将軍の経験が警鐘を鳴らしていた。
 将軍は咄嗟に魔剣による防御に切り替えていた。殆ど無意識の行動だった。オーディの斬撃が振るわれたのはその瞬間だった。
 目測通り斧はラーク将軍の遙か目前を通り過ぎて行かない。斧は吸い込まれるように将軍の首に向けて襲いかかる。
 一直線にオーディの手を離れ、斧が将軍に向かって行く。
 投擲。それがオーディが選んだ最後の技だった。
 金属が立てる不快な音が、砂漠の村に響き渡った。
「閣下っ!」
 思わず副官のクロビスが声をあげた。
 皆信じられなかった。それは絶好の間合い。誰もがラーク将軍の首に斧が突き刺さったと思った。
 ただ一人。ただ一人だけ、その結末が現実のものとはならないことを知っている者がいた。
 オーディだ。彼だけは自ずからの勝ちなどわずかにも信じず、既に回避動作を始めていた。しかし、空中での斧持ち替え、薙ぎに見せかけた投擲と奇策を繰り返したオーディの動きは鈍っていた。
 逃げようとするオーディの動きが止まる。気付いたときにはもう遅い。強ばった少年の首筋には魔剣が突き付けられていた。
「……誉めてやろう。私が死を覚悟したのは久しぶりだ」
「死なんて感じる質なのか? あんた、本当は化け物なんだろ」
 オーディの投げた斧はラーク将軍の目の前で魔剣に叩き斬られた。その破片が将軍の肩を掠め傷付けたようだが、到底、致命傷には遠い。
 あの間合いで防御が間に合うとは、オーディには将軍を誉める以外にない。本当に化け物じみた武技だ。
 遂に決した一騎打ち。ムルトエの騎士団は大歓声を上げる。
 将軍を賞賛する声が歓喜に渦巻き、クロファリの村に轟いた。
 オーディは負けを悟り、両膝から崩れ落ちる。
「……小僧、なかなか面白い戦技であった。本来なら軍門に下り、忠誠を誓うのなら命は助けよう、と言ってやるのだがな。盟約者となると、そうもいかん。恨むならこの地に生まれた己が身と、盟約を交わした地神を恨むがいい」
 その言葉にオーディは苦笑するしかない。
 地神ディフェスはこの四年間、恨み続けきた存在だ。それを今更恨めなんて、笑うしかない。
 しかしオーディは地神という存在を恨んでも、キャロルという少女を恨む気にはなれなかった。
 流石にもう、どうしようもない。
 周りは将軍の勝利の祝う雄叫び。そして目の前には一騎打ちが決しても油断なく魔剣を構える猛者がいる。一分の望み絶たれてしまう。
「私を傷付けたお前の戦技に敬意を表し、冥神へ祈りを捧げる時間ぐらいくれてやろう」
 ラーク将軍のせめてもの情け。魔剣がゆっくりと遠ざかっていく。
 しかし、それは隙が出来たことを意味はしてない。この将軍に僅かな距離の差など関係ない。間合いに入ればどんなものでも切り捨てる業をオーディは身を以て知っていた。
 冥神への祈り。そんなものをする時が来るとは考えていなかった。
 いや、戦場に身を置く以上、死は覚悟している。でも死ぬときはもっとあっさりと戦場で屍となる。そんな想像をしていた。
 オーディは両膝を突き、天を見上げた。
 砂漠の空。生まれてからずっと見上げている空が、今日はやけに澄んで見える。
 遠くで風音が聞こえるだけの天空は青々とした雲一つない砂漠の空だった。
 妹が生贄になり飛び出した故郷の村で、四年ぶりに帰ったこの村で死ぬのか。死に場所としては悪くない。むしろ出来過ぎなくらいだ。
 ただ、あの本人は厳しくしているつもりなのだろうが、何かと義弟を甘やかすキルビ・レニーが悲しむ姿は見たくない。その思いがオーディを心苦しくする。
 そんなオーディの頬に何かが当たった。雨かとも思ったが少し違う。第一、空に雲はない。今、見上げているのだからそれは確かだ。
 その空から降る何かが徐々に増えていく。しかし、一騎打ちの勝利に酔いしれるムルトエ軍の者は、まだ誰もそれを気にしていなかった。
「神への祈りは済んだか?」
 オーディへの最後通告。ラーク将軍が魔剣を構え直した。遂に余命が終わる。魔剣の光が増した。
「……あれは」
 オーディの呟き。天を見上げたままのオーディを不審に思い、囚われのキャロルの横で縛り上げられていたコルッシュも空を見上げた。弓使いのコルッシュはその場にいる誰よりも目が利いた。
「白い鳥?」
 目を凝らすように顔をしかめたコルッシュの言葉に、近くにいたケルケも顔を上げた。
 空から何かが降っているのに気付き、次々と天を見上げる騎士達が増えてくる。
 目の前にオーディがいる将軍だけが、目を離す訳にはいかぬと、天を見られないでいた。しかし、それも限界だ。空から降る白い何かが、通り雨のように音を鳴らし始めていた。
 その頃には空から降ってくる物が白い砂であると誰もが気付いた。
 そして遙か遠き天空に奇妙な影、白い影が浮いているのも。
 コルッシュの呟き通り、それは翼を広げた白い鳥の影に見えた。
 数十羽の白い雁。伝説の聖獣の姿に、ムルトエ軍に動揺が走る。
 なぜ聖獣が姿を現すのか。地神の眷属だとしても、『白の塔』を占拠し守護者のキャロルを封じた以上、そんなものが現れるはずがない。そう一番動揺したのはケルケ・カナトだった。
「静まれ! 皆静まれ! ケルケ、これはどういうことだ。あれは何だ? この降ってくる白い砂は?」
 クロビスの問いに、ケルケは自分が聞きたいぐらいだった。
 しかし、それを顔に出すわけにはいかない。この場で最も魔法に長けるケルケが慌てるわけにはいかないのだ。
 そうしているうちに、空を飛ぶ白い雁は確実に近付いてくる。
 不可解な状況に一番早く判断を下したのは、やはりラーク将軍だった。
「皆の者。対戦用意!」
 そう指令を出すと、自らは魔剣を振りかぶる。とにもかくにも、まずは目の前の不穏分子たる少年を早急に始末する為に。
 そのとき、雁の白影が黒い何かを吐き出した。それが放物線を描き、将軍に襲いかかる。
「何を!」
 一線の薙ぎ払い。
 突然のことにも、将軍は黒い飛来物を弾き飛ばしてみせた。しかしすぐに将軍の顔色が変わった。
「これは……斧?」
 そう、宙を来る白い雁が吐き出したのは、斬り覚えのある物だった。
 先程一騎打ちでオーディが投げつけた斧と同じ。
 それが次々とラーク将軍に向け降ってくる。流石の将軍も堪りかねて飛び退いた。
 そのときには、白い雁は村の真上に迫っていた。
 もう誰の目にも明らかなほどその白き姿がはっきり見えた。それはかなり大きい。人よりも大きな白い翼を広げた姿に皆、見とれてしまう。しかし、それは明らかに鳥ではない。
 風が薙ぐ。強い風。砂を巻き上げ、全てを飲み込む風が吹き下ろす。
 黄色い色するはずの巻き上がる砂塵(さじん)が白く変わる。その旋風を縫い、白い雁が急降下する。
 まるで夜空に降り注ぐ星々のように、地に引き寄せられる白い影。それはそのまま地面へと衝突する。
 その落ちて来た物が何なのかはわからないが、地に墜ちる轟音と衝撃に備えようと皆、身を丸めた。
 しかし不思議と白い影の着地に伴う衝撃は軽く、まるで紙を落としたように滑らかに、そして静かに白い影がそこに立っていた。

 白い光が煌めいていた。
 舞い散るは白い砂。二翼の白い翼に見えた布の様な幕が、柔らかくなびいている。
「キャロル!」
 それは確かに白き姿をした少女だ。空から舞い降りたキャロルはその身に白く大きな布をまとっていた。それが風になびく様子が、まるで雁が羽ばたくように見えたのだ。
 地に降り立った足の感触を確かめるように少女は目を瞑り佇んでいた。
 皆、広場の片隅で彼女が磔にされていたはずの場所を振り返った。右腕を失い魔法で拘束されていた少女がいつの間に抜け出したのかと、騎士達は自分達の失態を悔やんだ。
 しかしそこには記憶通りに、白い少女が囚われたままだった。
 誰も動けなかった。まったく同じ姿をした少女が二人。
 空から降り立った少女は神秘的な薄緑の光を纏い、歌うように、その思いを皆に届けるように煌めいている。その姿に誰もが見惚れていた。

「無様だね、オーディ」
 聞き覚えのある声に、オーディは目を見開いた。
 処刑を待つ身のオーディは未だに膝を突いて立てずにいた。その身が聞こえてきた声に打ち震える。
「何をそんな絶望を背負った顔をしている? 前々から言っているだろう、困ったときは人を頼っていいと」
 キャロルがまとう白い布の中に人影が現れる。声の主は白き少女の白き布に抱かれて、そこに立っていた。
「何奴!」
 将軍が叫ぶ。空から降り立った二人目のキャロル。そして彼女と共に現れたもう一人の女。
「戦斧狂舞キルビ・レニー……」
 面識のあるケルケがやっとのことで言葉を紡ぐ。その名を聞き、ムルトエ軍が騒ついた。戦いに身を置く者なら一度は聞いたことがあるだろう。エルト最強の戦士の名を。
 その戸惑いに追い打ちをかけるように、更に二つ白い影が天より舞い降りる。
 キルビ同様、キャロルがまとう白い布と同じものに包まれたレイモンとニータだった。二人の手には抜き身の剣が握られている。彼らは既に戦いの気配を放っていた。
「全く。礼拝所にあった綺神石(きじんせき)が人型になって動き出したと聞いたときは、流石の私も度肝抜かれたが、なかなか面白いことになってるじゃないか、オーディ。それでこそ私の弟だ」
 ムルトエの騎士団のただ中に降り立ったというのに、キルビ・レニーは妖艶な笑みを浮かべる。そう彼女には戦場こそよく似合う。
「オーディ、さあ言え。この優しい義姉が、エルトの地を汚す罪人を、可愛い義弟を泣かせるムルトエの馬鹿どもを片っ端からしばいてやろう。望むならその望みを口にしろ、オーディ!」
 その敵中にして堂々とした宣言に、ムルトエの兵は呆気にとられていた。
 オーディにしてもそうだ。突然の義姉の出現と、その言葉の意味を理解出来ないでいた。それでも今、何を言うべきなのかは自然と頭に浮かんだ。
「助けて……。助けて欲しいんだ。みんなを」
 オーディは素直に懇願した。
 もうオーディ一人の力ではどうにもならない。それが身に染みて泣きそうになる。
「ふっふっふっ。聞いたかレイモン、ニータ。こんなに嬉しいことはない。何でも独りで背負い込むオーディが私達に助力を求めているぞ。ああ、助けてやろう。我らが『砂漠の雁』の名に賭けて……、お前ら、このエルトの地から生きて帰れると思うな!」
 『砂漠の雁』団長の気迫に、精鋭のはずの騎士団ですらたじろいだ。
 その間にも、空から白い布に包まれた『砂漠の雁』の戦士達が次々と降りてくる。見上げれば、空にはまだこちらに向かってくる白い影がたくさんある。
 その数を見れば、クロセリカの町にある『砂漠の雁』本部に詰めていた戦士全員がこの場に向かっているのだろうと知れた。
 ムルトエ軍の騎士団に宣戦布告をしたキルビ・レニー。
 事態は飲み込めてはいないが、彼女が敵だと知った騎士団はやっと抜刀し、戦闘態勢をとった。それに合わせ、キルビも斧を構える。オーディと全く同じ両手の斧を前に大きく突き出す独特の構え。
 そんなキルビに向け、ケルケが腕を掲げる。騎士団との戦闘が始まるまでに先制攻撃として魔法を放とうというのだ。
 腕輪から現れる赤き光の輪。それが完成する前に、キルビの横にいた二人目のキャロルがケルケに向け飛び込んだ。
「なっ!」
 攻撃する側のケルケが驚き声を上げた。
 赤き円環が魔力の奔流を吐き出す。それが自ら当たりに来たキャロルの身に炸裂する。
 身を焼き焦がす赤熱の光。
 キャロルがまとう白き布衣が衝撃に耐えきれず消し飛び、その身がえぐられる。
 いくらキルビを庇う為とはいえ、自ら魔法に当たりに来るのは完全に自殺行為であった。
 キャロルの身は白い煙を上げ、立ち尽くす。焼かれた腹部が消し飛んでいた。
「ケ、ケル、カナト……」
 腹をえぐられ瀕死のキャロル声。しかし目だけはしっかりとケルケを見据えていた。
「この木偶人形が!」
 ケルケが引きつった叫びを上げる。
「そうです。私は人形です」
 キャロルのはっきりした声が真横から聞こえ、ケルケは驚きに振り向いた。
 そこには傷一つないキャロルがもう一人立っていた。
 もう一度、前に目をやると、魔法に焼け焦げたキャロルも確かにいる。
 三人目のキャロル。磔にされている最初のキャロルから数えて三人目が現れたのだ。ケルケの驚きなど全く気にせずキャロルは続ける。
「確かに、私にはあなたを排除するのは難しい。あなたが私に襲いかかろうとも、私はあなたを殺せない。出来るだけ怪我をしないように配慮することが決められている。そう創られている。だから、あなたと敵対勢力になるだろう者を喚ばせて頂きました。砂漠を人を連れて渡るのは、あなたに力を封じられた身には少々骨が折れました」
 私には骨という臓器はありませんけどね。とキャロルは付け足す。
 その言葉が示す通り、魔法にえぐられた方のキャロルの腹から見えるのは白い何か、それが蠢いて、徐々に傷口を塞ごうとしていた。
「たった、数人増えただけで何が出来る。ムルトエ軍精鋭五十人を相手に」
「人の身で空を行くのは少々無理があったようで、各人が耐えられる速度しか出せませんでした。ですから到着に時間差が出来てしまいました。しかし、総勢三十四名。私も出来うる限りの加勢を致します。はたしてあなたの思い通りになりますやら」
「はっ、高々田舎の戦士団が数十増えたところで、私には魔法がある。蹴散らすなどたわいもない」
「そうですか。では、あなたは私と、このままお話をして頂きましょう」
「何?」
「私はあなたを力ずくでは排除出来ない。それは確かです。しかし、あなたの前にただ立つことは出来ます。教えてあげましょう。私の体はこの砂漠の白い砂と同じ物で出来ています」
 三人目のキャロルが促すように、腹に風穴が空いた二人目を見る。
 すると、虚ろな目をする少女は完全に崩れ去り、キャロルの言葉通り白い砂となった。そして見る見るうちに、その白い砂山は二人のキャロルに増えて復元した。これでキャロルは四人になったことになる。
 いや、もう人数など無意味だ。空か降る白い砂が溜まったそこかしこから少女の姿が次々に現れる。それが『砂漠の雁』に攻撃をしかけようとしていた騎士団の進行を阻む。
「この砂漠の天候を操るのが私が創られた本来の目的。今、私が風に乗せ、白い砂を降らしている意味がわかりますか?」
 ケルケに言葉がなかった。先程から村に白い砂が降り続けている。それを止めない限りキャロルは復元し増え続ける。何度でも蘇る。
「あなたの攻撃は私の防御を簡単に抜いてしまいます。それでも無限ともいえる私の分身を全て焼き払う体力があなたにはおありですか? 言っておきますが、私はあなたの前からどく気などありませんよ」
 ケルケは悔しさにまみれた苦渋の表情をした。知識もあり、冷静は判断が出来るケルケだからこそ、キャロルの言葉の意味も、これから至る結果もわかってしまう。
 ケルケは幾十にも増えたキャロルに向け魔力を叩き付けていく。同じ顔をした少女達は簡単に破壊されていくが、後から後からまたキャロルが現れる。
 キャロルは無視して、その間を抜こうとしても、やはりキャロルは立ちはだかる。周りを完全にキャロル達に囲まれたケルケは、もう狙いも定めず魔法を撃ち続ける。
 その赤き光は全て白き少女に当たり、その体を爆ぜる。しかしケルケにはキャロルの侵攻を止めるのが精一杯だった。
「オーディ、あとはあなたの番です」
 一人のキャロルがその言葉があの少年に届くようにと風に乗せ呟いた。
 しかし合戦が始まったクロファリの村において、その呟きは空しくかき消されてしまうのだった。



第五章の4へ  トップへ戻る