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 夢を見た。

 懐かしい夢。

 学生時代の夢。

 まだ、柳沢が生きている頃の夢。

 柳沢が書いた小説を読んでいる夢。



 意識は朦朧(もうろう)としているのに、眠りから覚めた西家は夢の内容を鮮明に覚えていた。

 いや、あれは夢などではない。実際に西家が体験した過去の出来事だったはずだ。
 それは数年前、無論、柳沢がまだ生きていた頃の話だが、西家の発案で柳沢が小説を書いたことがあった。
 その小説を読んだ記憶が、夢として再生されたのだろう。
 もう死んでいない柳沢の記憶は、思い出の名の下に、記憶の片隅に追いやられていた。それが唐突に思い出される。

 柳沢が書いた小説は、意味もなく人が死んでゆくミステリーだった。
 ストーリーは滅裂だったが、素人が書いたにしてはよく出来た物だったと思う。

 西家が小説好きだったわけではないが、何気なしに「なんでもいいから書いてよ」と言ったところ、
 柳沢が本当にそんな小説を書いて来たのだ。もう遙か昔に感じられる出来事を西家は懐かしく思う。

 月日が経ち、今となっては当の小説がどんなストーリーだったか、詳細を覚えていない。
 うる覚えの記憶を辿ると、サスペンスタッチで『墜落死』『生き埋め』『血みどろの死体』など、
 必要とも思えないのに登場人物が猟奇的な死に方をするミステリーだったと、西家は記憶している。

 どこからともなく漂う酒の臭気が列車内を占めていた。
 西家は浅くなった座りを直し車外に目をやると、列車の光に浮かび上がる街並みの中に、大阪の街を縦横に走る河川が夜の闇に、更に輪を掛けて暗く、重く見えた。

 夢を見たといっても、寝ている時間は数分だったのだろう。駅間隔の狭い環状線でも数駅進んだだけだった。
 しかし、帰途の電車は西家が降りるべき駅が迫っていた。
 いいタイミングで起きられたものだと、西家は懐旧の夢に感謝する。

 どうして今更あんな夢を見たのだろうか、と疑問に思ったが、なんてことはない。
 先ほどの飲み会の失言が心のどこかに引っかかっていたのだろう。
 死んだ人間のことを口にするだけで夢に見るとは、西家は自身のナイーブさに呆れてしまった。

 車体が軋みの音を鳴らし電車が止まる。
 日付が変わった夜のホームは、切れかけの電灯に照らされて仄暗かった。
 湿気を含んだ風の冷たさが身に染みる。
 十一月も半ばを過ぎて、季節は冬になろうとしていた。

 西家の家は大正駅から数分大正通りを下った所にあった。
 駅にほど近いワンルーム。手頃な家賃に加え、一人暮らしなら七畳半の一間でも困ることはない。
 そこは学生時代に借り始めた部屋だった。
 脱サラした今なら、実家に帰った方が、家賃が浮くことを西家も自覚していたが、引っ越す時間がないのが実情だった。

 西家は今年の春にそれまで勤めていた会社を辞め、輸入代理店を興した。
 フットサルなどのスポールのユニフォームをデザインとするシャツやグッズの販売を手がける商売。
 西家が作ったフットサルクラブ、『FC6-2』の活動を通じて思い付いた起業だった。

 まだ一年目ということもあり、軌道に乗っていると言うには無理がある。
 それでも、商社を通さない割安の販売価格で今のところ好評だった。
 後は利益をあげるだけ。ここ一年が勝負所と、西家も気合が入っていた。
 そのお陰でこの半年はヨーロッパを中心に海外を飛び回る生活をしている。
 それこそ忙しくて借家があっても帰らないのだから、部屋の意味がない。
 しかし忙しいからこそ、引っ越す暇もない。全く矛盾した状況だった。

 しかし次の商談がまとまれば、しばらく時間が出来る。
 その時に引っ越しも済ませよう。西家はそう心に決めた。


「ただいま」

 一人暮らしの部屋に帰宅の挨拶をする。昔から身に付いている西家の習慣だ。

 誰もいない部屋。団欒の欠片もない世界。
 不意に先刻までいた居酒屋の温もりが恋しくなった。

 二次会に行けばよかったかな。西家は少しばかりの後悔を感じる。
 そんな思いを振り払うかのように冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出すと、一気に飲み干した。

 西家はあまり酒に強い方ではない。どちらかと言えば体が弱く、アルコールも体質に合っているとは言い難い。
 しかし、飲み会の嫌なことを忘れられる独特の雰囲気は大好きだった。

 だからこそ、今日もスケジュールが詰まっていたが、遅刻しながらも参加したのである。
 ただ、明日の仕事を考えると二日酔いは避けたいところだった。
 面倒と感じながらも、西家はペットボトル片手に手早く用事を片付ける。

 シャワーを浴びると、西家はベッドに倒れ込んでいた。
 そういえば、もう数ヶ月は布団を干してない。
 西家の脳裏に、なんとも言えない嫌悪感が過ぎったが、今更どうしようもないし、どうする気も起きなかった。

 布団の感触に眠気を誘われる。
 不確かな意識の中で、再び柳沢のことが西家の脳裏に浮かんだ。

 自分は柳沢の小説を読んでどう思ったのか。面白かったのか、面白くなかったのか。
 そんなことすらもよく覚えていない。第一、小説の内容もどんな物だったのかすら、記憶がはっきりしない。
 ミステリーにしては探偵役が誰だったのか、そもそも探偵役がいたのか。そんな疑問さえ浮かぶ。

 柳沢が本当に小説を書いて来たのを知ったとき、西家は狐につままれた思いだった。
 確かに西家が書いてみろと言ったのだが、まさか実際に書いてくるとは夢にも思いはしなかった。
 今まで小説書きになど全く縁の無かった人間が、西家が言ったら本当に書いて来たのだ。
 その驚きだけは、今でも鮮明に思い出せる。

 あの頃は楽しかった。学生時代は将来の不安なんて微塵も考えずに、西家たちは毎日を楽しんでいた。
 今はもういない柳沢を含め、五人で色々バカをやっていた。
 柳沢が小説を書いたのも、そんなバカの一環だった。
 昔を思い出した西家の心は、センチメンタルな感情に支配されていた。

 そう、確かあの頃だった。西家が『6-2』を作ったのは。
 小学校からの友人の集まりにわざわざ名前を付けるなんて、どうして思い付いたのか忘れてしまったが、西家の発案で『6-2』という名称は生まれた。

 そしてサッカー好きの五人が集まれば、やることはフットサルと決まっていた。
 フットサルチームとしては決して強くはなかったが、毎週のようにフットサルをしていた。

 それがいつの間にか、西家たち『6-2』以外にもメンバーが加わり、フットサルクラブ『FC6-2』としての活動に広がっていた。
 『小学生からの友人』の輪に、いつの間にか『小学校からの友人』以外の者が加わっていた。
 それはなんとも言えない奇妙な感覚だった。

 もちろん、部外者だからと差別する気などなかった。
 だからこそ、来る者を拒まずに新メンバーを快く迎え入れた。
 しかし、それでは小学校からの友人の集まりである『6-2』ではなくなってしまう。
 存在意義の否定と共にある存在定義の拡大解釈がフットサルクラブ『FC6-2』を生み出したのだ。
 つまり、一つの集合は、より大きな集合の中に吸収され、存在を消そうとしていた。

 そして時が経ち、社会人となった今は、目まぐるしい日常の生活に追われ、西家はほとんどフットサルに参加出来なくなっていた。
 『FC6-2』の代表者は今でも名目上は西家だが、仕事で忙しくなってからは、古参メンバーでもある内島祐一(ないとう・ゆういち)に、実質上の代表となってもらっていた。

 表の顔は西家、裏の実務として内島が運営する。
 そんな二枚看板と、新規メンバーの増加によって、『FC6-2』は完全に『6-2』とは全く別の存在へと変貌してしいた。
 だからこそ、今日の飲み会のような『6-2』としての集まりが貴重なものとなっているのだ。

 わざわざ集まらないと『6-2』という存在自体が忘れ去られていく。
 そんな微々たる不安が、西家の心の隅に、魚の骨のように密かに、そして確実に突き刺さっていた。

 『6-2』の集まりをもっと増やしたい。西家は素直にそう思う。
 柳沢も死ななければ、一緒に酒を酌み交わしただろうに……。そこで西家はふと気付いた。

 柳沢って、どうして死んだんだ?

 どうにも思い出せない。
 柳沢がいつ、どのように死んだのか、西家は全く思い出せなかった。

 友人の死因。そんな重要なことも思い出せないほどに酒が回っているのを自覚して、西家は考えるのを止めた。
 今、何を考えても明日になれば、すっかり忘れているだろう。そんな思考に意味はない。

 西家の意識はゆっくりと、今日二度目の眠りに落ちていった。


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