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それは全て打算的な演出だ。
白熱電灯の仄暗い灯りも、アンティーク調の座り心地のいいとはいえないテーブルと椅子も、
現代日本では工業的にあるはずのない蓄音機の調べなど最たるもの。
ただただ、一杯の珈琲を飲ませる為の装飾品に過ぎない。
こだわりの店と言えば聞こえはいいが、たった一杯の珈琲にハンバーガセットと同じ金額を取るのは、喫茶店というのも、なかなかあざとい商売だ。
そんな感想を抱きつつ、富竹は目前のコーヒーソーサーを指で弾いた。
「悪魔のように黒く、地獄のように熱く、天使のように潔く……か」
呪文のように唱えると、富竹はそれまでかき混ぜるだけだったコーヒーカップを口に運んだ。
「タレーランですね」
守井の言葉に、富竹は口に含んだ黒い液体を吹き出しそうになる。
まさか引用元を言い当てられるとは思っていなかった。
「トミーさんも意外と乙女チックなんですね。続きは『恋愛のように甘く』でしょ?」
「くぅ、……不覚だったわ。まさか守井が知ってるなんて」
「学生時代に世界史やってましたから。そんなにマイナーな人物じゃないですし」
「メジャーでもないわよ。あんた、要らない知識だけはあるのね」
声を荒げた富竹は、店内の視線が自分たちに集まるのを恐れて無理に声量を抑える。
そんなやり取りが、まるで痴話喧嘩のようで富竹は急に居心地の悪さを感じた。
「あぁ、内島(ないとう)って人、まだ来ないわけ? こんなことなら会社に押しかければよかった」
「まぁまぁ、トミー姉さん。まだ二十分も経ってませんから。堅気の人間にはそれなりに配慮するのも、警察官の務めですよ」
「別にいいじゃない。職場に刑事が訪ねて行ったぐらいでは、クビにならないでしょ?」
「そういう世間体を気にする人、多いんですから、この世の中」
「守井に世間体なんて言われてもねぇ」
富竹と守井は、日本一長いことで有名な天神橋筋商店街に軒を連ねる喫茶店に来ていた。
レトロな雰囲気に、薫り高い珈琲と申し分ないが、多少値が張ることも否めない店だ。
しかしながら、職場のインスタントに慣れた舌には、珈琲専門店のコクと香りは贅沢過ぎるというものだ。
一夜明け、被害者宅捜査の一件で荒れていた富竹も、普段の平静を取り戻していた。
結局のところ、被害者が住むマンンションの管理人、赤本からも有力な情報は得られなかった。
また、被害者宅の捜査は、昨日に引き続いて今日も家宅捜査が行われているはずだ。
荒れていた室内を鑑みて、捜査も慎重になっているのだろう。
あの室内を見て、これを単なる事故と考える人間など一人もいるはずがない。
そして当然の如く、今日の家宅捜査にも二人は参加していない。
昨日とは異なり富竹も顔色一つ変えず、その扱いに対する愚痴もない。
一晩経って、心の整理が付いたのか、それとも現実から目を背けることにしたのか、その心中は定かではなかった。
二人が家宅捜査に参加する代わりに行っているのは、捜査主任・浜妻の指示通り、被害者が所属していたというフットサルクラブの調査だった。
フットサル関係者をいくつかあたり、『FC6-2』というクラブの概要は直ぐに割れた。
当初、富竹は『FC6-2』をイベントサークルの類ではないかと怪しんでいたが、確かにフットサルを行っているクラブチームだった。
ただ、内部の個人的な情報については聞き込みの甲斐無く何もわからなかった。
そこで『FC6-2』の部内者に接触する為に、二人は喫茶店で待っているのだ。
更に待つこと十五分ほど、現れたのは背広で身を固めた痩せ型の男だった。
「お待たせしました。なかなか仕事を抜けられへんで」
「え〜、内島祐一(ないとう・ゆういち)さんですね?」
警察バッジの提示を済ませると、いつもの如く守井が話を切り出した。
コンビを組む富竹には、段取りを手早くこなしてくれる守井は、なんとも楽を出来るパートナーだ。
「えぇ、内島です。呼び出したん、あんたらやないですか。人違いやったら帰えらしてもらいます」
少し間延びした口調で男は答える。実は警察の捜査情報に、内島の顔写真は存在しなかった。
それほど『FC6-2』というフットサルチームの捜査は進んでいなかった。
『リフティング事件』などと俗称されているにも関わらず、被害者の所属していたフットサルクラブの捜査が疎かにされ、軽視されていたと言わざるを得ない。
二人は大阪近郊にあるフットサル場を回って『FC6-2』代表者の連絡先を聞き出し、こうしてコンタクトをとったのだが、
学校のクラブ活動とは異なり、有志で集まる社会人や大学生で構成されたサークルは、部外者にはその概要が把握し難い。
そもそも今回亡くなった義田がフットサルクラブに所属していたという情報自体、警察の捜査ではなく、マスコミ報道から得られたものだった。
所轄はそのマスコミからの情報ですら、まともな裏付け捜査を行っていなかった。
所轄署のずさんな捜査態勢に呆れ、そして何より、全く重要視されていない聞き込みに割り当てられていることを再認識するのだった。
「義田さんの件、ご存じですよね?」
「はい、ニュースで見ました。突然のことで、みんな驚いてます」
京都弁のようなやんわりとしたイントネーションで喋る内島の声は、不思議と親近感を覚えるものだった。
「みんな、と言うと、クラブチームの皆さんですよね? 義田さんの件、チーム内では、どのように言われていますか?」
守井の質問に内島は目を泳がせるように店内を見回した。
「別に、なんてゆうか。現実味がないゆうか、信じられへんゆうか。まぁ、まだ線香の一つもあげてませんし」
「そういえば、今日がお通夜でしたね」
司法解剖が行われた為、義田の葬儀が遅れていることを富竹は思い出した。
友引の日取りも相まって、今日が通夜、明日が告別式。
交友関係調査の為に富竹たちも一般参列に混じり、両日とも出席する予定にしている。
富竹と守井の二人も、今日の夕刻には斎場に移動するつもりだった。
「ええ。実は、今もその口実で会社を引けて来たんです。このまま帰って、お通夜に行こう思て」
「そうですか……。事件について、どこまでご存じですか?」
「知ってるんは、テレビでやってるだけですよ。屋上から落ちたんでしょ?
ニュースではリフティングしてたとか言うてますけどねぇ……」
内島はどうにも引っかかる物言いをした。
そんなはっきりしない態度が富竹の癇に障る。
「何か?」
つい、富竹は強い口調で聞き返えしてしまった。
それがどうにも威圧的に感じたのだろう。内島は逆に黙り込んだ。
守井が富竹を軽く制し「なんでも思ったことを仰ってもらって結構ですよ」と、
にこやかに取り繕う。守井も慣れた具合だった。
「……いえ、ただ単に、リフティングしてただけで、屋上から落ちるアホおれへんなぁ、って」
それは誰もが感じている疑問だった。
しかし誰も明確に反論する根拠を持っていない。
義田秋仁が誤って落ちたのではないという証拠が一件も出てこないのだ。
「それはその通りですけど、それでは内島さんは、義田さんは自ら飛び降りて自殺したとお思いですか?」
「そう言われると困るなぁ」
妙に間延びした語尾に、富竹の眉が跳ね上がる。
「つまり、心当たりはないと?」
「そうやねぇ。少なくとも自殺するような動機は思い付かんなぁ」
内島は守井の質問に明瞭に答えた。これまでに話を聞いた誰もが、義田秋仁に自殺するような動機はないと言う。
だったら他殺なのだろうか? それを肯定する話も今のところ出ていない。
しかし、屋上から部外者の靴跡が見付かったこと。
部屋が荒らされていたこと。
それがどうしても事故と断定するのを邪魔している。
「内島さんが義田さんに最後に会われたのはいつですか?」
「え〜。アキ、最近来てなかったから……、一ヶ月か、一ヶ月半か、それくらい前かな」
どうやら義田秋仁は『アキ』と呼ばれていたらしい。
その気安さから、義田と内島の親密さが窺える。
「正確な日付は分かりますか?」
「あ〜、調べたら分かる思うけど、覚えてないから」
それは当然だろう、カレンダーも見ずに正確な日付を明言する方が怪しいものである。
この内島祐一が事件に深く関わっているとは元より考えてなかったが、これまでの印象として富竹は内島を白(シロ)と確信した。
「調べたら分かるというのは、これまでのチームの活動日程ですね?」
守井は更に質問を続ける。『FC6-2』というフットサルクラブについては、何も知らないのと等しい状況だった。
どんな情報でもあるに超したことはない。
「そうやね。基本的に練習か試合以外は、飲み会ぐらいしか会わんですし」
「チーム内の交友関係はどうでしたか? 一番仲がよかった方は?」
「仲がよかったとか言われても、みんな仲がいいですし、あえて言うならボクですかねぇ」
「チーム内で関係が悪かった人はいなかったんですね?」
「プレイでの意見の違いはありますけど、悪感情を抱いている人物なんて誰もいませんよ。アキにも、アキ以外にも」
内島が嘘を吐いている様子はない。
実際、水面下で個人的な対立があったにせよ、なかったにせよ。表面化はしていない段階だった。
それを普通は「問題が無い」と表現するものだ。
「そうやねぇ、強いて言えば『6-2』なら、ボクらが知らないことも、知っているかも……」
その言葉に富竹と守井は眉のひそめた。
「どういうことですか? 内島さんは『6-2』の代表の方じゃないんですか?」
守井は疑問を素直に口にした。
代表を務める内島自身が『6-2』のメンバーでないわけがない。
一体、彼は何を言い出したのだろうかと、富竹と守井は混乱した。
「ああ、えっとな。『6-2』は『FC6-2』やなくて、あの四人のことでな」
「あの四人?」
更なる疑問点に富竹は苛ちは募っていく。
「幼なじみちゅーか、小学校からの友達らしいけど」
「すいません。どういうことなんですか? ちゃんと説明してもらえますか?」
守井の要求も、もっともだった。
内島の話は要点に欠けるものだ。順を追って説明してもらわねば全く理解出来なかった。
「『6-2』いうんは『FC6-2』やないんですよぉ。『6-2』は、アキと西家と、あと浦谷に士井ちゃんの四人のことで……。
あ〜、昔は五人って聞いたような気もしますね」
「す、すいません。ちょっと待ってください。確か西家さんもチームの方でしたよね?」
フットサル場への聞き込みで西家という名前は、内島の名と共に出てきた名だった。
『FC6-2』の連絡先と聞いて、内島の名前があげられたので、内島が代表者。
西家はその補佐をする人物。例えば副代表か何かをしている人物という認識を二人はしていた。
「え? はいはい。全員『FC6-2』のメンバーですよ。
死んだ義田と、西家、浦谷、士井の四人は同じ小学校なんですよ。その四人のことを『6-2』っていうらしいです」
「『6-2』? それはフットサルクラブとは別なんですか?」
「はぁ。まぁ、別いうか、いや、別いうたら別なんかな」
なんともややこしい。
『6-2』と『FC6-2』は別の意味を持ち、『6-2』は『FC6-2』のメンバーであるという。
「その三名。え〜っと、西家さん、ウラヤさん、サムライさんでしたか。
その方々の連絡先を教えて頂けますか? 出来ればチーム全員の名簿か何か、あれば提供して頂きたいのですが」
守井がそう言う横で、富竹は素早く名前をメモする。
そういう聞き込みの連携は警察官の基本のようなものだった。
ただ、その言葉を聞いた内島は意外にも困った様子で、頭を掻きむしっていた。
「……いやぁ。それが、名簿とか、無いんですよ」
クラブチームなのに名簿が無い? 何を言っているんだ? 富竹には理解出来なかった。
いや、よくよく考えてみると納得がいく。通りで全容の把握し難いチームのはずだ。
フットサル関係者をあたっても、代表者の名前と連絡先くらいしか出てこない。
詳細な情報は当事者に聞かなければ何もわからないとは、捜査能力に難ありと思われかねない話だが、
相手が組織立っていないとなると、まさに雲を掴むような話だった。
『FC6-2』のメンバーと交友関係。
そして死んだ義田を含むという『6-2』。
捜査しなくてはいけない事項が更に増える。
捜査員たる自分が捜査することに異論はないが、この案件(ヤマ)はさっさと終わらせたいのが富竹の本音だった。
そんな考えを巡らせていると、あることを思い出した。
「内島さん」
富竹の改まった声に、内島は身構えた。
その様子を少し滑稽に感じたが、ここで笑ってしまうわけにもいかず、率直に思い付いたことを述べることにした。
「もしかして。義田さんの事件の丁度一週間前。そう、先々週の金曜十一月十七日です。『FC6-2』は集まっていましたか?」
「……いえ、今月は金曜に練習も試合もなかったですよ」
内島の答えは、富竹の予想通りのものだった。
富竹は思い出す。被害者宅にあったカレンダーを。
そこに書かれていた『6-2』の文字。
この事実が指し示すものは、捜査の進展へと繋がるのだろうか?
富竹は淡い不安という闇の中で、微かな期待の光明のようなものを感じるのだった。