第四章「忘却の人と無知な神」

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 天上から『七つ神』が降り立つ前の世界、まだ『七つ神』が封(ほう)じられていない世界は『七つ世』とは呼べぬものだった。
 『七つ世』となる前の世界は混沌が渦巻き、災厄が溢れていた。
 闇が空を覆い、瘴気が人を殺す。天に在した御神はそのあまりの惨状に心を痛め、自らの血肉を分け与えた『七つ神』を地上に封(ほう)じた。
 これが『七つ世』世界の始まりである。

 地上に封じられた『七つ神』はそれぞれの地でそれぞれの役目を担っていた。
 地神ディフェスは大地の守神。
 世界の大地の災いを一手に引き受け、その災いが外に漏れ出さないようにエルトの地に閉じ込めた。
 だからこそ世界は人を育む豊かな世界へと変わったのだ。
 それが広大なエルトの地が逆に不毛の荒野と成り果てた所以である。

 しかし、災いが最も濃い地神ディフェスの在す聖域である『白の砂漠』では、地神の力をもってしても災いが抑えきれず、どんな生物も生きることが適わない土地となる。
 それほどに、世界には禍々しい災厄に溢れていたのだ。
 そんな『白の砂漠』のどこかに塔がある。
 地神ディフェスは、その塔の上から災いが大地から漏れ出ないか常に見張っているという。
 それがクロエ族に伝わる『白の塔』の伝承だ。

 地神の名を持ちながら、死の大地に在す地神ディフェス。
 そして、その災厄に穢れた土地に生きたクロエの民。
 黒き肌の民は何を思い、この枯れた大地に生きてきたのだろうか。
 そんなクロエ族でさえ、実際にその塔に入るのは言うに及ばず、塔を見たという者すらいない。
 それは伝説にのみ登場する禁断の聖域、幻の塔。蜃気楼の塔とまで言われ、人が近付くことさえままならぬ神の聖域だったはずの『白の塔』の前に、今オーディ達はいる。
 天を貫く白亜の巨塔。目の前に、白き壁が太陽輝く天空に吸い込まれるように立ちはだかっていた。
 その押し迫る壁が物言わぬ圧服を感じされる。
 これは本当に現実のものなのか。もしや夢ではないかと、頬をつねりたくなる。しかし実際、頬をつねり上げてみても痛いだけである。
 呆気にとられるオーディ達に構うことなく、ゆっくりとした足取りでキャロルが塔の壁に向かって行く。
 ざらついた乳白色の壁に少女の手を触れた瞬間、壁が溶けるように口を開いた。
 それも魔法の一種なのか。それとも神の力なのか。その入り口は、元からあるというよりも今し方キャロルが穴を穿ったように見えた。
 確かに先程、弓を射ようとしたコルッシュの気持ちがわかる。
 得体の知れぬ力、それも人智を超えた強大な力を持つ者を前にしたとき、畏怖と共に反感を感じざるを得ない。
 そんなオーディ達の思いなどつゆ知らず、少女は恭しい態度で塔の中へと入っていく。
 後を追うオーディ達も怖々に足を踏み入れれば、そこは建物の中とは思えないほど広い空間だった。
 音に聞く旧ノールダム王国の双首都にあったルキュアル宮殿を思わせる。いや、それ以上に巨大な、建物一つがすっぽりと入ってしまいそうな空間。それを包むかのように無彩色の自己主張のない床と壁が広がりを見せていた。その色調は祭壇でもあれば礼拝堂にも見える。
 コルッシュは直ぐに気が付いた。塔の中の雰囲気がクロファリの地下遺跡に似ていたのだ。
 それは専門家のケルケも勿論気付いただろう。ケルケは鋭い視線であちこち見回していた。
 それではあの地下遺跡も地神にまつわる遺跡なのだろうか。そういう想像はいくらでも出来るが、砂に埋もれ朽ち果てた地下遺跡と比べるべくもなく、『白の塔』は人智を超えた厳かな空気が漂う。
 奥へ奥へと進んでいくキャロル。それを追いながら、オーディ達は塔内の異様な雰囲気に圧倒されていた。
 岩造りに見える壁が不可解に湾曲し、規則性なく並ぶ。あちこちにある明かりは輝薔薇(きばら)と似ているようで、それとは異なる輝かしい光。どれも人の世では見たことがないものだ。
 オーディは前を行く少女の背中を見つめていた。
 不思議な少女。白き少女。こうして側にいても、その気配は希薄で、それなのにその存在には目を奪われる。
 突然、少女が振り返った。
「どうせなら、見晴らしの良い方がいいですよね?」
 と、はしゃぐように聞いて、答えを待たずにまたくるりと身を返し、先々進んでいった。いいも悪いもオーディ達は付いて行くしかない。
 礼拝堂にも見える空間を縦断し、中央にある円柱の壁際に着くと、キャロルが腕を振り上げた。
 すると、塔を喚んだときと同じく、彼女の指先が光り出す。その淡い光は妙に懐かしいように感じた。
 今度はキャロルが何をするのか。当然のように三人は身構え、辺りを警戒した。
 しかし、周りには何の変化もなかった。
 だが、不意をつくように急に体が重くなる。どうやら、今度は直接オーディ達に何かしたようだ。
 次の瞬間、浮遊感が襲う。
 何事かと慌てる三人の体に、またキャロルの指先と同じ色の光がまとわりついていた。
 どうやらその光がキャロルの『力』の象徴なのかもしれない。その光の薄緑色はキャロルの魔法の色というべきか。
 光に包まれた三人の体が浮いて、天井に吸い寄せられていく。
 天井にぶつかる。
 そう思って身を丸めるが、衝撃はなかった。
 何の抵抗もなく天井に体がめり込んでいく。正確には天井を通り抜けたのだ。
 体を包む光が天井を溶かしてしまったかのように、天井に触った感触すらない。
 天井に遮れないことをいいことに、体はそのままどんどん天に昇っていく。

 急に視界が明るくなる。オーディ達がすり抜けた天井がそのまま透き通って見える。
 岩の天井や辺り一面の壁が、水のように光を通し、塔の外の情景までもが目に飛び込んで来る。
 外は延々と広がる『白の砂漠』。朝日に照らされる地面がどんどん遠ざかっていく。
 砂丘の凹凸が『白の砂漠』に光と影のまだら模様を作り出していた。そして、塔が放つ光も砂の地面に反射して、ほんのりと光輪を写していた。
 それは砂漠に咲く緑(あお)き光の花。それも上へと浮き上がる内、次第に遠く見えなくなっていく。
 あまりにも地面が遠く離れ、地に足がつかぬ感触で不安に襲われる。
 それは地を這いずり生きる人に備わった防衛本能。つまり高い場所が恐いのだ。
 そんなオーディ達の事情は全く加味されず。体はまだまだ上へ上へと昇っていく。
 オーディ達を先導するように我先に天に昇っていくキャロルは振り返りすらしない。
 視界から塔の足下は消え、遙か遠い砂漠の情景だけが目に映る。
 一体どれほど遠くまで見通せるのだろう。しかし、どこまで視界が開けようと、ここはエルトの真っ直中、どちらを向いても、どこまでも砂漠が広がるのみ。
 地平線から完全に顔を出した太陽が眩しくこちらを覗いていた。

 どれくらい高く上がって来ただろうか。山の端(は)と目線が同じ高さに見えた。
 それは空の飛べぬ人の身には考えも及ばない高度だった。
 急に体が重く感じる。
 気が付けば体の上昇は止まり、透明に溶けていたはずの床も現れていた。
 恐る恐るその床に足を付ける。すると、何事もなかったかのように床に立っていた。
「なんじゃい、今の」
 最早、自身で考えることを放棄してしまったのだろう、コルッシュが間抜けた声を上げた。
「おそらく、彼女の力で塔の上部まで持ち上げられた、ということでしょう。浮遊の魔法。それもかなり上位の法ですね。天井や壁を通り抜けたようですが、そちらは私にも理解しかねますね」
 ケルケの回答を聞いても、コルッシュは納得した様子はなかった。
 見るもの全てが半信半疑のままだ。魔法の力か神の力かは知らないが、キャロルの案内に体を預けた三人には考えも及ばない力が働いていたのだろう。
 こんな状況をどうやって理解せよというのだ。体験した三人がそうであるから、もしクロセリカの町に帰ってこのことを話しても、法螺話と誰にも取り合ってもらえないだろう。
 ここでは自身がちっぽけな、単なる人間だということ改めて思い知らされる。
 そこは塔の入り口にあった部屋とは趣が異なっていた。
 どうやら塔の外周に合わせて輪形に作られた部屋だ。
 目の前は大きな硝子の窓。いや、それは窓というには大き過ぎる。円柱形の塔の外壁一面丸ごと硝子なのだ。そこからは白んだ空がよく見えた。太陽の光が差し込むのに暑くもなく眩しくもない、不思議な部屋だった。
 しかし、こんなに大きく塔の外形に沿って湾曲するような硝子をオーディは知らない。
 そもそも硝子なんて高価なものは都市部の富豪や王宮で使われるだけで、エルト出身のオーディには目にするにも珍しい代物だ。
 そして部屋の中程に、この度肝を抜かれる『白の塔』には似合わない、こぢんまりとした卓台と椅子が一つ用意されていた。
 この輪形の部屋が目的地だったのだろう。キャロルが三人に歩み寄って来た。
「お待たせしました。改めまして、よくぞいらっしゃいました、オー・ディ様。再会を嬉しく思います。さぁ、お座りになってください」
 オーディ達は三人いるのに、なぜか一つしか用意されていない椅子。
 少し困った表情でオーディがケルケとコルッシュの方を振り返ると、ケルケが手でオーディが座るように勧めていた。
 三人いる中で一人だけ座るのも居心地が悪かったが、オーディは渋々椅子に座った。

「本当によく来てくださいました、オー・ディ様。もう会えぬかとも思っていました」
 そうしてあの幻だった白き少女が、柔らかい笑顔で微笑んだ。
「すまないキャロル。その、俺は『様』とか言われるような人間ではないから、普通に『オーディ』と呼んでくれないかい?」
「はぁ、あなたがそう仰るなら、私はそれで問題ありません。では、オーディ。……でよろしいのでしょうか?」
「ははは、うん。それでいいよ」
「ありがとうございます。それにしてもオーディ、ご立派になられて。見違えました。随分と背が高くなられたのですね」
 四年ぶりの再会。早熟のクロエ族といえども十四で大人というには少し早い。
 この四年でオーディの体は大きく成長した。それに比べ、目の前に少女は四年前と背丈も顔も、着ている服すら変わっていなかった。
「君は変わらないんだね……、四年前と同じだ」
 その言葉にキャロルはしばしの間、表情を失った。しかし直ぐにいつも浮かべている微笑ましい表情に戻ると、キャロルはどこからともなく飲み物を差し出した。
 その透明な硝子の容器には、これまた透明な液体で満たされていた。
「すいません。私にはこんな物しかお出し出来ないのです」
 キャロルは如何にも申し訳なさそうな渋い表情をするが、直ぐに元通りの笑顔に戻っていた。
 そんな彼女の表情になんとなく違和感を覚えた。恐る恐るに差し出された飲み物を口に運ぶ。よく冷えた液体の感触が口内に広がっていく。
「水か……」
 それは山麓の湧き水のように澄んだ水だった。砂漠を来た身には五臓六腑に染み渡る。何の変哲もない水だが、オーディにとっては懐かしい味だった。
「この水も君が作ったのかい?」
 オーディの強い視線に気付いたのか、キャロルは四年前を思い出し苦笑いした。
「これは雨水ではありません。歴(れっき)とした飲料水です。あのときは野外でしたので飲料水を運搬するより、降らした方が手早いと判断しました」
 四年前、『白の砂漠』で乾ききったオーディを救った通り雨。あれはキャロルの力だ。キャロルが何らかの力を使って雨を降らしたのだ。
 そういえば、椅子だけでなく水もケルケとコルッシュの分が用意されなかった。
 キャロルが二人に嫌がらせでもしているというのだろうか。オーディが振り返り二人に飲みかけの水を差しだしたが、二人とも首を横に振った。
 その気持ち、わからないでもない。何者かも知れぬキャロルが用意したものだ。本当に単なる水なのか疑がってかかるのも当然だった。
 一度、命を助けられているオーディは不思議とキャロルを疑う気持ちにならなかった。
「それで妹君は見付かりましたか?」
 少女が無邪気に聞いた。唐突に、最も触れられたくないことを切り出され、オーディは答えに窮した。
 確かに四年前にキャロルと会ったときに妹を探していると伝えたが、まさか今更その話題に触れられるとは考えていなかった。
「いや……、妹は見付からなかったよ」
「そうですか、それは心配ですね。あの後、私の方でも探して見ましたが、やはりこの付近にはいらっしゃいませんでしたよ」
「そう……、探してくれたんだ。ありがとう」
 素直に礼を言った。正体のわからぬキャロルとはいえ、妹の捜索の助力をしてくれたことが嬉しかった。
「君は周囲の人間の気配を感じられるんだっけ?」
「そういう目的で作られていませんので、あまり広範囲とはいきませんが、人が探し回るよりは効率がいいでしょうね」
 『作られた』との言葉にオーディが息を呑む。この少女はやはり普通の人ではない。それが彼女の口から述べられ現実味を帯びてくる。
「君は一体、何者なんだい?」
「私はキャロルですが?」
 まるで当然のように答えた少女が苛立たしかった。
「名前は知ってるよ。そうじゃなくて、君はどういう存在なのか教えてくれないか?」
「私の所属を問うているのでしょうか? それならば、聖十字の元に生まれ、姓郭(せいかく)が県守(あがたもり)に属するものです」
 その言葉にオーディの心は鷲掴みにされる。
 ケルケも気付いたのだろう、口元がきゅっと引き締まる。
 キャロルの言った内容はオーディには、正直よくわからなかった。しかし『県守』という言葉には覚えがあった。
 それはクロファリ村の伝承に残る地神ディフェスの眷属。世造の守人とも呼ばれる、大地を支えし地神の信奉者。クロエ族が祖の二つ名。
「それじゃあ、君は地神に仕える者なのか? クロエ族と関係あるのか?」
「クロエ……とは四年前にも伺いましたね。恐らく『出身地の名称』ですね。それと『ディフェス』も私は知らない言葉です。文脈的に人名のようですが、私は存じ上げない方です」
「な、何を? 七つ世の地神、ディフェスだぞ! この白き塔に封(ほう)じられている神だろう?」
 それまで微笑みを絶やさない少女が困惑の色しか見えぬ表情でオーディを見つめていた。
「すいません、オーディ。あなたの言葉には不明な単語が多過ぎます」
「不明って、君こそ何を言っているんだ。キャロル、君は神を知らないのか? 君は神の眷属じゃないのか?」
「そうおっしゃられても……。あなたの仰る神とは『神』とは『宗教的超越絶対者』のことでしょか?」
「しゅ、宗教? 何を馬鹿なことを!」
 オーディは悔しさに身を焦がれそうだった。キャロルは地神を本当に知らないようだ。
 それならば、本当に神はいないとでもいうのか。そんなオーディの心中を代弁するように、今まで黙って話を聞いていたケルケが口を挟んだ。
「あなたが神でないというならば、あなたがどういう存在なのかお聞かせください」
 ケルケが慇懃に声をかけた途端、キャロルは無表情な顔をした。そしてしばらくケルケに冷たい目線向けた。
 先程からどうにもおかしいと思っていたが、キャロルはオーディ以外の人物と会話したくないのではないかという疑念が浮かんできた。
「キャロル、なぜケルケさんに答えないんだい?」
「答える必要があるなら答えますが」
 その言葉には不本意と言わんばかりの不快の念が込められていた。
「私の存在の説明ですか? そうですね……。たとえるなら、この場所を維持する修道女のようなもの。……すいません。流石にそれは自虐的過ぎました。本来は、こうしてお客様をお迎えするのが私の役目です」
「ほう」
 ケルケは感嘆の声をあげ、元々細い眼を更に細めた。
「この場所……。この『白の塔』にディフェスはいないのか?」
 オーディが懇願するように確認の言葉を口にした。
 地神がいないということは、オーディ達クロエ族に留まらず、世界中の人の価値観を根底から打ち砕く。
 地神の聖地と呼ばれるこの場所に地神がいないというのなら、一体どこにいるというのだ。
「いえ。今ここにいる人間はオーディだけですよ」
「他に誰もいない? それじゃあここの主は誰なんだ? キャロルがこの塔の主なのか?」
「そうですね。強いてここの主という存在をあげるなら、私の本体かもしれません」
「本体って、どういうことだ? キャロル。やはり君は人間ではないのかい?」
 オーディにはわからないことだらけ。キャロルとの会話はどうにも話が噛み合わない。
「はい。私は人間ではありません」
「それじゃあ、一体君は何なんだ!」
 声を荒げてしまうオーディ。キャロルはそれを冷静な瞳で見透かすように見ていた。二人の間には明らかな温度差が感じられる。
「それは私の本体が何かを問うているのですね」
 そう言うとキャロルは、すっと手を動かし、床を力強く指差した。その行動をオーディ達は訝しげに見つめた。
 オーディの視線を充分に感じ取って、キャロルは力強くこう言った。
「これが私の本体です」
 あまりの断言ぶりに、疑問すら浮かばない。ああ、そうなんだ、と納得しそうになる。
「これ……って、何だい?」
「あなたが今いるこの建物全てが私の本体。今こうして話をする為に、キャロルという名の偽りの体を作り出しているに過ぎません」
「君がこの『白の塔』そのものだというのか!」
「正確には違います。私、キャロルはあくまで人形(ひとがた)、それ以上ではありません。この体に力を与えているのが……、あなたが『白の塔』と呼んでいるこの施設です」
 オーディが言う『白の塔』が何を指す言葉なのか、やっと理解したのだろう。キャロルが初めてその言葉を使った。
「なるほど、なるほど」
 キャロルの説明を聞いて、ケルケが何やら満足げな呟きを漏らした。
 流石はこの『白の塔』を調査しに来た者である。オーディにはいまいち理解不能なキャロルの言葉を飲み込めているようだ。
「ケルケさん。俺には何がなんだか……」
「オーディ君。何も難しく考える必要はありません。彼女の言葉を額面通りに受け入れればいいのです。まあ、そうですねえ。彼女の本体がどういう目的で存在するのかを聞いてみればいいのではないですか? そうすればオーディ君がここに来た目的は達せられるはずです」
 人ではないというキャロル。
 そのキャロル自身が先程、「本体は『白の塔』である」と口にした。
 『白の塔』が何の為にあるのか。地神ディフェスの神殿でないのなら、一体、誰が何の目的で、こんな砂漠の真っ直中にこんな巨大な塔を作ったのか。気にならないといえば嘘になる。
「どうなんだキャロル? この『白の塔』は何の為に存在するんだ?」
 オーディはケルケに勧められた質問をそのまま口にした。
「そうですね。私の本体は単一目的の為に作られたわけではありません。ただ、あなたにわかりやすく説明するならば、大地の穢れを祓う為とお答えするのがいいでしょう」
「大地の穢れ……」
 それは地神ディフェスの役目だ。ディフェスは世界中の大地の災厄をエルトの地に集めた。そのお陰でエルト以外の地が豊かになり、人が住みよい土地となった。
 七つ世の始まりの神話に語られる地神ディフェスの役目をこの『白き塔』が担っている。
 つまり、それはこの塔自体が地神ディフェスということなのか。
「キャロル……、君は雨を降らせることが出来るよね?」
「ええ、空中に湿り気があれば、それを集めることが出来ます。ただし、この周辺に限った話です。あまり遠方に離れると、雨が降る確率を上げる程度しか行えません」
「他にも、人の力では及びも着かないことが出来るんだよね?」
「はい。雨風を操り大地を浄化するのが主な力ですが、それ以外にもある程度は。それらの能力もここからあまり離れてしまうと力が及びません。ですが、それも『白の塔』自体を移動させれば済むことです」
 塔の移動。それはつい先程、身をもって体験した。こんな巨大な塔が砂漠の中を動くなんて、それは一体どれほど驚異的な力だというのだ。
 魔法使いは戦場に出れば一騎当千と言われている。それは比喩ではなく、本当に一人で千人の兵を相手に勝利する力を有するのだ。
 しかしキャロルはどうだ。千どころの話ではない。もし戦場にこの塔が出れば何万という兵を押し潰すことも可能だろう。大地の浄化が目的らしいが、『白の塔』の力はそれだけでは済みそうにない。
「キャロル。やっぱり君が地神なんだね……」
 オーディの悔しさのにじむ声。
 キャロルは地神ディフェスを知らなかった。しかし、その力を鑑みれば、どう考えてもキャロルは神の眷属である。
 そして、この『白き塔』自体が地神ディフェスとして神話に名を残す『神』そのものだ。
 四年前の砂漠で命を助けてくれたキャロルにはこれ以上ない恩義を感じている。
 しかしだ。妹が人身御供とされた対象である地神ディフェスは恨みしか抱けない。悔しさに苛まれたオーディの歯噛みが広い一室に虚しく響いた。
「どうかなさいましたか、オーディ? 顔色が優れないようですが」
 オーディの思いを余所に、キャロルが心配の声をあげた。
 無知は罪ではなく、無知の無知が罪であると人は言う。
 無論、キャロルはオーディの知らない知識を数多く持っているだろう。それを無知と呼ぶのは語弊がある。
 だからと言って、オーディの心中を知らずに語るキャロルに罪がないといえるのだろうか。
「君は地神ディフェスを知らないと言う。でも、俺から見れば君自身が地神に思える。君は神なのか? 君が生贄を求めているのか? 君が求めたからジェイジーは!」
 声を荒げたオーディの様子にキャロルは、また首を傾げる。その仕草が余計に苛立たしい。
「どうして興奮なさっているのですか?」
「なんだと!」
 危うく掴みかかるのを必死に耐えた。握り締めた拳が音を立てて軋んだ。
「オーディ君、やめておきなさい。彼女に何を言っても無駄です。彼女は生贄など求めたことは一度もないのでしょう。それはクロエ族が勝手に思い込み、勝手にやったこと……」
 ケルケの言葉は非情なもの。しかし、それは真実なのだろう。生贄なんて誰も求めていなかった。地神に捧げられたと思っていた生贄達は『白の砂漠』で無駄に死んでいっただけなのだ。
 全て、長年に渡ってクロエ族が侵してきた盲信という罪なのだ。
「でも、それだって……。君は雨を操れるんだろう? どうして干ばつなんて起こしたんだ! 雨さえ降れば、雨さえ降れば……」
 悔しさがにじむ。たとえクロエ族が勝手に生贄を出したとはいえ、雨さえ降れば、誰が望んでそんなことをやろう。
 雨風を操るというキャロルが、生きるに足りる雨さえ降らしてくれれば、妹のジェイジーは『白の砂漠』に捨てられることはなかったはずだ。
「お言葉ですが、確かに、私は天候を操ることが出来ますが、人の住む地域に影響がないように配慮しております。この一帯には、人は殆どおられませんので、干ばつと仰られても」
「何を! あの年のエルトがどれだけ乾いたか! エルトだけじゃない。シグもアーラも、どこもかしこも、渇きでどれだけの人が死んでいったか!」
 オーディの気迫に押され、キャロルが押し黙る。表情を落として苦い顔をしたが。やがて
「すいません。あまり遠きことは存じなくて……」
 と言った。
「所詮、人外か……、いや、彼女にとって私達もそう……」
 ケルケの呟きにオーディが驚きをもって振り返った。
「どういうことです?」
「君は彼女に一度会っているので覚えがよいようですが。気付きませんか、彼女の態度に?」
 何か含みのある笑いを浮かべて、ケルケはキャロルに歩み寄る。そして
「おい。貴様」
 と乱暴にキャロルの胸ぐらを掴んだ。
 ケルケの突然の無遠慮な行動にオーディは慌てた。
「ケルケさん。彼女は地神の眷属なんだろう。そんな乱暴に」
「はははは、君はこの後に及んで神などと言うのですか!」
 軽薄な笑い。それと共に、ケルケは持ち前の怪力でキャロルを振り回すように投げ捨てた。
 小さき体が床に引きずられ叩き付けられる。
「ケルケさん! いくら何でも!」
 非難するオーディにケルケは冷たい視線を送る。
「君の物わかりの悪さにも、ほとほと愛想が尽きます」
「何!」
 声を荒げるオーディを無視して、ケルケは投げ捨てたキャロルの腕を掴み、もう一度持ち上げた。
 床に叩き付けられた痛みからか、動けずにいたキャロルは力無く、為すがままにされていた。
「……オーディ。何なのですか。これは」
 キャロルがやっとにして出した言葉にオーディは違和感を覚えた。普通に考えれば、この乱暴な扱いは何なのか問うている。しかし、何か違った。
「まだわからないんですかオーディ君。彼女は私を『これ』と言っているのです。君には丁寧に対応するこの神の眷属とやらは、私を人間と見ていないのです」
「人間と見ていない……」
 ケルケは何を言っているのだろうか。人を人間として見ないなどと、それこそ乱暴な話だ。
 しかし、その言葉には説得力があった。キャロルはオーディにしか話しかけないし、ケルケとコルッシュに席も用意しない。水も出さない。まるでいないものとして扱っていた。
「先の戦神ではそれを突き止めるのに苦労しましたよ。私を人間として扱わないのでは盟約も結べませんでしたからね」
「ケルケさん。何を言って……」
「オーディ君。言ってあげてください。どうやら、君だけは人間扱いされていますから、君の言葉なら苦せずして届くでしょう」
 そう言ってケルケはキャロルを投げて寄こした。簡単に投げ捨てられたキャロルを受け止めたオーディはその意外な重さによろめいた。
「……言えって、何を?」
 ここに来ても、オーディは事情がよくわかっていなかった。キャロルが神なのかどうかも、実際よくらからないのに、それ以外のこととなると更に理解が及んでいない。
「何を、ですか。そんなの簡単です。私やコルッシュ。そして砂漠の中にある集落に住んでいる者、全てが人間だと」
「えっ……」
「本当にまだ気付きませんか? そのキャロルと名の付いたものは、端からクロエ族など人間と思っていのです。だからこそ、干ばつに晒しても平気なのです。言ってしまえば、干ばつを引き起こした原因そのものがこの『白の塔』なのですよ」
  



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