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オーディの心に衝撃が走る。ケルケの言葉に思い付く反論もない。もしそれが本当だとすれば、妹はこのキャロルに殺されたも同然だ。
「本当なのか、キャロル?」
オーディに支えられて立ち上がったキャロルは無表情だった。そしてケルケの方をじっと見つめていた。
「おい、返事をしろキャロル!」
「それは私が聞きたいぐらいです。この者が人間だと言うのですか、オーディ?」
キャロルの言葉に息を呑む。ケルケの主張が正しいのだと、キャロル自ら認めたのだ。
「……これは由々しきことです。オーディ。彼(か)の者の言葉が真実ならば、私は間違った行いを数多くしていることになります。オーディ! 教えてください。彼らも人間なのですか? 砂漠に住む彼らも人間だというのですか!」
砂漠に住む彼ら。言わずと知れた砂漠の民クロエ。よもや疑う余地はない。キャロルはクロエを人間として扱っていない。
どうしてだか、オーディだけは人間扱いされているが、それ以外のクロエ族は人間ではないというのか。
「キャロル! 君は何てことをっ!」
「オーディ。早く教えてください。彼らは人間なのですか? この砂漠に人間が住んでいるのですか? それでは確実に雨が足りない年がありました。あれでは人は生きていけません」
だから、その干ばつで! オーディはそう叫ぼうとした。しかし声が出なかった。悔しさと悲しさにその身を裂かれそうだった。
神こそ無知だった。人がいるのも知らずに、神は天を操っていた。全て、全てキャロルが原因だった。
「オーディ君。君の気持ちはわかります。しかし、彼女の問いに答えるのが先ですよ」
「ケルケさん……」
オーディは情けない声を出した。
それではまるで子供だ。感情に支配されるだけでは大人とは言えぬ。時として理性で感情を乗り越えるのが大人というものだ。
そう思ったオーディの体が宙に浮く。キャロルと同様にケルケに胸ぐらを掴み上げられた。
「早くしなさい!」
ケルケがどうしてか苛立たしい感情を剥き出しにしていた。なぜそんなに急ぐのかと疑問に思う。ただ、現状を一番よく把握しているらしいケルケに逆らう気は起こらなかった。手で制しケルケに胸ぐらを放してもらうと、オーディはキャロルに向けて、改めて言った。
「人間なんだ。みんな、みんな。人間なんだ。……当たり前だろ」
オーディの言葉にキャロルの表情は改まった。
神が認識を改めるなんてことがあるのだろうか。不意にそんなことが頭を過ぎるが、キャロルは神話に聞く神とは何か異なる。ならば、間違いは改めることも出来るのかもしれない。
「オーディ、急ぎ各地を調べに参りましょう。特に砂漠に住んでいらっしゃる方々の生活が心配です」
今更何を言う。そういう思いがないと言えば嘘になる。
しかし、オーディはその言葉を嬉しく思った。たとえ妹を殺した相手でも、そんな実感が湧かないからこそ、目の前の神に等しき少女の改心を信じたい。しかし
「その必要はありません」
と、力強い声がした。
ケルケ・カナトの声だ。ムルトエの学者が、その場にいる者全てを引き込む声を出した。
次の瞬間、キャロルの体が弾き飛んでいた。先程放り投げたのとは比較にならない衝撃。キャロルの体は床を転げ回り、壁に激突する。
ケルケがキャロルを殴ったのだ。あの怪力のケルケが少女のキャロルを本気で殴っていた。
一体何事かと、呆然とした。しかしオーディも少年とはいえ『砂漠の雁』で戦士を務める者。本能で腰に下げた斧を取ろうとした。
「コルッシュ」
「わかっちょる」
ケルケの呼びかけに、それまで静かに見守っていたコルッシュが答えた。既にその手には弓が握られ、オーディに向け矢が構えられていた。
「……コルッシュさん?」
「オーディ、動くな。動いたら撃たんといけんきに、俺っちはこげん目的で来たんじゃきい」
コルッシュの目がその言葉が真実だと告げていた。斧を手にすれば、コルッシュは有無を言わさず矢を放つだろう。
そんな二人の様子を見てケルケは満足げな表情を浮かべ、キャロルに向け腕輪を填めた腕を突き出した。いつか見た腕輪の赤き光が灯る。
「キャロルに何をする気だ!」
オーディの問いにケルケは口元を緩めて、馬鹿にした笑いを見せる。
「何をするとは正しくはありませんね。もうとっくに始めています。この塔に入った時から私はこの力を使っているのですよ」
ケルケの言う『この力』。そして腕輪の光。それに嫌な予感がしてならない。
「防御の法が間に合わなかったようですね。人形よ」
それはキャロルへの言葉だったのだろう。しかし、彼女は答えるどころか、壁に激突したまま、まだ立てないでいた。
「意外と脆いですね。流石に戦神とは違うのですか。アレは半日抵抗を続けましたよ。いや、あなたが弱いのではなく、あのとき手に入れた私の力が強大ということか」
「戦神……。ま、まさか……」
「おや? 阿呆の君でもわかりましたか?」
オーディの呟きにケルケは小気味よく答えた。
「そうです。私は今回のこの『白の塔』と同じように戦神トゥースの聖域も見付けたのですよ。そして手に入れたのがこの力!」
ケルケの腕輪が赤き輝きを増す。それに呼応するようにキャロルの体が浮いた。
それは彼女が空を浮遊したのとは少し違う。体にまとう光がキャロルの薄緑の光から、赤へと変わっていた。それがケルケ・カナトの所行なのだと知れた。
「こ、のちか、ら。さ、でぃ?」
キャロルが苦しそうな、口籠もったような声を出す。
明らかに正常ではない。宙に浮くキャロルの動きがもどかしい。まるで生まれたての赤子のようにぎこちなく藻掻いている。ケルケの不可視の力がキャロルの動きを封じているのだと見て取れた。
「彼女に何をした!」
「何てことはありません。彼(か)の物にはしばらく黙ってもらうだけです。オーディ君。君はなかなか役立ってくれました。この場所も無事見付けられましたし、何より、彼女の気を引いてくれた。お陰で気付かれずに彼女へ呪を打ち込むことが出来ました。塔に入った瞬間から、気付かれないように慎重に慎重を期していたのですが、君が充分に時間を稼いでくれました。感謝しますよ」
感謝すると言われても嬉しくない。そんなこと望んでいない。オーディは三白眼でケルケを睨み付ける。
「あんた、魔法使いだったのか!」
確かに、ケルケの言動や行動には怪しいところはいくつもあった。ただの学者とは、オーディも思っていなかった。
しかし、まさか魔法使いとは、実在するのか疑念すら抱かれる、奇蹟の法の使い手だとは。
「おや、それぐらいわかっているかと思っていましたが。そうです、魔法使い。私に相応しい言葉です。私は魔業の法を使う者。しかし、呼びたければ神と呼んでもいいのですよ。私は手に入れたのです戦神の力を。そして今からは地神の力を手に入れる」
戦神トゥース。七つ神が一柱。サーディールに封(ほう)じられたといわれている戦いの神。相手を制し、戦いに勝つことが生きる為の術だと謳う戦神の力をケルケは手に入れたと言うのだ。
にわかには信じられない話だった。しかし、空を飛び、『白の塔』をも動かすキャロルが為す術なく藻掻いている姿を見れば、ケルケの言葉を信じざるを得ない。
「そうそう、君は以前、どうやって神がいないと証明するのかと聞きましたね。答えはこれです。神を私が支配する。地神は神などではない。単なる魔法の制御装置だ。その小娘の形をしているモノはその守護者に過ぎないのですよ!」
そうしてケルケは乾いた軽い笑い声を上げる。その実に楽しそうな冷笑に、『白の塔』が奇妙な空気に包まれる。
誰も口を挟めない神妙な緊張感と、どうすることも出来ない無力感が漂う。
もうこの『白の塔』という舞台の主役はケルケ・カナトという魔法使いとなっていた。
「さ、でぃを、どう、しまし、た?」
キャロルの何かを問う声。しかし、ケルケはそれに答えず。赤く輝く腕輪を振るう。
腕輪の周り現れた光の円環が複雑な文様を描いていく。
流暢に文字を綴るようなその円環が突然踊るように弾け飛ぶ。
「キャロル!」
溜まらずオーディが声を上げていた。
自らも矢で狙いを定められているにもかかわらず、オーディは妹の仇と思われる、人ですらないキャロルの身を案じているのだ。
暫(しば)し、ケルケの周りに浮いていた赤い光の円環の欠片が、我先にとキャロルに襲いかかる。
光は不自然に体が浮いていたキャロルの体の表面に潜り込むと、新たな文字を描くように筋が走り、仕上げとばかりに光の円環に復元してキャロルの体を束縛した。
『禁ず、禁ず、禁ず。汝が動き、汝が行いを禁ず』
ケルケが響きある言葉を発する。それには何人も抗えない力があった。
「……これで、完全にお前の力は封じた。もう抵抗も出来ないでしょう」
その言葉を証明するように、藻掻いていたキャロルは指一つ動かなくなった。
その様子を見て、弓を構えていたコルッシュが息を吐いたのがわかった。
この塔の守護者を完全に封じたことで危険がなくなったと判断したのだろう。ケルケもキャロルに向けていた腕輪を下ろしていた。しかし、直ぐに天に掲げるように腕を上げる。
「ミル、聞こえていますね?」
ケルケが言った。この場にはいないはずのミルミーア・リファの名を呼んだのだ。それに訝しげな表情を浮かべたオーディだが
『はいはーい。聞こえてますよ。ケルケ様』
とミルミーアの声が聞こえてきたことに更に驚いた。しかし、直ぐに噂で聞いたことがある遠話の法と呼ばれる魔法の一種だと思い当たった。
クロファリの村に残してきたミルミーアとケルケが隔地会話を行っているのだ。
「準備は出来てますか?」
『勿論です。本国に連絡も済みましたし魔力の充填も完了しています。いつでも発動出来ますよ』
「わかりました。ご苦労さまです」
一体何の準備なのかと疑問に思う。この塔の守護者であるらしいキャロルを拘束するなど、ただ事ではない。
「ケルケさん。あんたはっ!」
もう気付いていた。オーディは騙されたのだ。
遺跡の調査なんて嘘を騙られて、こんな男をキャロルに引き合わしてしまった。それが悔しくて仕方がない。
そんなオーディの心境を読みとったのか、ケルケの表情が楽しげに歪む。
「オーディくん。ここまで案内ご苦労様でした。もう死んでいいですよ」
「なっ!」
オーディは声を上げながらも、戦士として鍛え上げられた本能に従った。
弓を構えたコルッシュの狙いを外す為、全力で跳び退き走り出す。
そのまま重心が滑り落ちるような突進。オーディは斧を手に、コルッシュを無視してケルケ・カナトに攻撃を仕掛けた。
弓矢など問題にならない。倒すべきは魔法使いのケルケだと判断していた。
そういうオーディの行動を予見していたのだろう。ケルケはオーディに向け、手を掲げた。その腕には魔法を操る腕輪。
瞬間、オーディは無理矢理に飛び退いていた。
視界の端に一条の射線。動くなと警告をしていたコルッシュ・ムジカが矢を放ったのだ。
それは絶妙の間合いだった。ケルケへの突進を妨げる巧みな矢筋。
オーディは無様に床を転がることでしか、その矢を避けることは出来なかった。
二対一という不利な状況。オーディは直ぐさま体勢を立て直そうと顔を上げた。
目の前が光りに満たされる。
ケルケの方を向き直ったはずの視界が赤き輝きで覆われ、眩しさに顔をしかめるしかない。
直後に響き渡る轟音が辺りに衝撃をまき散らす。
爆風に巻き込まれるたオーディは体を揺さぶられ、自分がどうなっているのか全く把握出来なかった。
「ほう。命拾いしましたか」
ケルケが小馬鹿にしたような軽い調子の言葉を口にした。
彼が先程突き出していた腕の周りには例の光の円環と蠢く光の筋が走っていた。
あまりの事態に身を固めたオーディの頬に冷たい風があたる。
ゆっくりと振り向けば、オーディの背後にあった塔の外壁となっている硝子に穴が空いていた。
ただの硝子ではない。見れば大岩のように厚い。それが荷車が数台通れそうな大穴を空けているのだ。
何がそんな穴を穿(うが)ったのか、恐らくケルケの魔法の一種だろうが、その破壊力は目を見張るものがある。
まるで対城武器。もしコルッシュの矢をかわそうと転がっていなかったら、あの穴はオーディの体に空いていたものだろう。それは原型も残さぬほど即死の一撃だったに違いない。
「まあ、いいでしょう。あの方をお待たせするわけにもいけません。ご機嫌を損ねるのは避けたいところ。コルッシュ、彼を抑えておきなさい」
ケルケの命令に肩をすくめながらも、コルッシュは言われたとおりにオーディの方に向かって来た。
「オーディ。わかっちょると思うきに、抵抗は無駄ぜよ。大人しくしい」
コルッシュが首筋に短剣を突き付けてもオーディは動けずにいた。
言われたから動かないのではない。今まさに、魔法の餌食にされかけたという事実に頭が付いていかないのだ。
オーディが反抗しないことで興味を失ったのか、それとも元々眼中にないのか。ケルケ自らが壁に空けた大穴に向かって行った。
そこには真っ青な空だけが開けている。かなりの高さがある塔の外壁に穴が空けられたのだ。外に向け急激に空気が吐き出され、代わりに砂漠の風にしてはぬるい、むしろ冷たいと感じる空気が流れ込んできた。
「な、にを……する、きで、す」
赤い円環に動きを封じられているキャロルがやっとのことで声を出した。その顔から苦悩の感情が読みとれる。
「なに、人を呼ぶだけです」
「ひ……と?」
キャロルの捻り出した声に、ケルケの口元は笑いを堪えている。
いや、先程から笑いっぱなしだ。キャロルを抑え込み、邪魔者を排除した彼を妨げるものなど何もない。
ケルケは彼女に声を返すことはなく、何か意味のある言葉を紡ぎ始めた。
『異方の風。彼方の扉。其は無月の光。式の神。神の駒。力は光、光は法。五つ二つ。一つ六つ四つ……』
「そっ、そ、れは」
ケルケが唱える韻律を聞き、キャロルの表情が一変した。
何事かと呆けているオーディにも事の異常性は伝わって来た。何か大がかりな魔法を使おうというのだ。
変化は外壁に空けられた大穴の更に向こうから始まった。
空中にケルケの魔法の象徴らしい赤い光の円環が現れ、青一色のはずの空が色を変える。
それはまるで虹を絵の具として垂らした様に、空に波紋を広げて全てを歪めていく。
そして宙の湾曲が丸みを帯びたとき、その中から何かが現れた。
それが人の手、手甲をまとった手であるとオーディが気付くのに一時の間がかかった。
その頃には手は腕に連なり、上半身、そして体全てが現れた。
何もない空から現れたのは全身金鎧(かなよろい)の甲冑をまとった重騎士らしき人。
その騎士が、突然、空か産み落とされ、塔に穿れた大穴から入って来たのだ。
驚くべきは、それで終わりではなく、次々と同じ甲冑をまとった者達が空から生み出されるのだ。
その数が十を越えたとき、オーディは数を数えるのが無意味だと悟った。
「て、んそう……」
身動き出来ずに苦しみ続けるキャロルが呟いた。
「そう、転移の法です」
呪文らしきものを唱え終わったのか、ケルケが自慢するように答える。
「そんな、なん、の、じゅ、んびも、なく」
「準備? それならクロファリに残ったミルがやってくれましたよ。一週間も時間があれば転移精度の担保は簡単でした。あとは私がこの塔の正確な場所を突き止めるだけ。お前に邪魔さえされなければ、私の力があれば造作もないこと」
ケルケが自慢げに話をする間にも、次々と甲冑の騎士が増えていく。
広い塔内が、同じ形をした無骨な鎧に埋まっていく。
そうしてやっとオーディにもケルケの目的が実感出来た。
ケルケは地神の力を手に入れると言った。ケルケ・カナトは地神の聖域の調査に来たのではない。この塔を占拠する為に来たのだ。
突然、音が響く。塔を揺るがせるような音。虚空から現れた重騎士達が一斉に足踏みを鳴らす。
いつの間にか騎士達は整然と列を作り、大穴の入り口を挟んで道を作るように隊列を組んでいた。
それだけで良く訓練された正規兵だとわかる。そして、この騎士達はこれから誰かを迎え入れようとしていることも。
「さぁ、お迎えしましょう。我らが将を」
ケルケの芝居がかった声。それが騎士達の鬨(とき)を呼ぶ。
『ザーク! ザーク! ザーク! ザーク!』
騎士達の腹に響く声が辺りを埋め尽していた。この『白の塔』自体が震えるよう。
轟然と響く騎士達の声に包まれ、ゆっくりと、空からまた一人、人が現れる。
その瞬間、オーディは全身の毛が逆立つような感覚に囚われる。
それは以前、義姉と共に戦場に出て目の当たりにした、戦場のキルビ・レニー『戦斧狂舞』の気配に似ていた。
しかし、それよりも鋭く尖った、まるで刃の切っ先のような気配。その気配の主が、ゆっくりと塔に降り立った。
筋骨隆々とはこの者を指す言葉なのだろう。がっしりとした巨漢。明らかに貫禄が違う。まとっている鎧も一際大きくそして仰々しい。
しかし、周りの騎士達の鎧とは違い顔まで隠す全身鎧ではなく、動きやすさを重視した物。その鎧を支える鍛え抜かれた筋肉を惜しげもなく晒している。
その顔を見れば、鋭い眼光を湛えた髪の毛一本ない頭が光っている。
体毛が少なく、体格がいいというムルトエ人の特徴を絵に描いたような大男が、騎士達の隊列の中を悠々と歩いて来る。
「お待ち申し上げておりました。ラーク・ザーク閣下」
ケルケは膝をついて、恭しく大男を出迎えた。
「ケルケよ。何だこの演出じみた出迎えは」
「はっ。兵の志気を上げる為には、このようなことも肝要かと」
「我がムルトエ兵は、そのようなことをせねば志気が保てぬように脆弱ではない。が、まあいい。お前は務めを果たしたようだな、ご苦労」
ラーク・ザークと呼ばれた大男に、ケルケは顔すら上げる様子はない。その力関係は一目瞭然だ。
この大男こそ、軍事国家ムルトエ王国の軍最高指揮官である征将軍であった。
国王に次ぐ権力を持つ男というのは、それを識らずとも立ち居振る舞いを見ればオーディにも察することが出来た。
「損耗報告をっ!」
ラーク将軍の後から現れたのだろう、副官と見える男が声を上げた。
彼もまた他の騎士達と異なり全身を覆う甲冑は着けていない。騎士にしては軽装と呼べる最低限の装備で、筋肉の塊のラーク将軍とは比べるまでもないが、この副官はムルトエ人にしてはか細い体付きだった。
しかし、立ち回るには不向きな長刀を事も無げに帯びているのを見れば、彼の者も凄腕の騎士であることが窺えた。
「損兵ありません!」
誰かが上げた報告に、ラーク将軍は力強く頷いた。
「腕を上げたなケルケ。以前は転移の法とやらで半数が死んだが、全員を送り届けるとは」
「勿体なきお言葉。閣下の大切な兵卒を無下に失うわけには参りませんゆえ、日々精進を」
「なん、てこと、を、せ、いぶつをて、そう、するなんて」
キャロルがケルケを非難する。しかし、その言葉の内容を気にする者は誰もいなかった。
「何だあれは?」
「ここの守護巫女にございまず」
「そうか。前とは随分雰囲気が違うな。して、その小僧は」
ラーク将軍がオーディに視線を向ける。その眼差しは道端の小石を見るかの如く冷淡だった。
「情報収集に利用した原住民です」
「用が済んだのならさっさと殺せ。何をもたもたしている」
「折角、閣下にご足労願うのです。観客の一人でもいなければ、勿体のうございます」
先程はオーディを殺そうとしていたのに、ケルケは口から出任せを言う。
「ケルケ。お前は余興が過ぎる。そんなもの我ら軍人には無用の物。コルッシュとか言ったな。その小僧を放せ」
急に放せと言われ、オーディを抑えつけていたコルッシュはその命令にどうするべきかと一瞬の迷いを見せた。
しかし将軍の命令である。コルッシュはオーディに突き付けていた短剣を納めて、一歩引いた。
「小僧。お前は戦人(イナ・トゥース)か?」
オーディの姿を見て言ったのだろう。皮鎧をまとい、斧を帯びるオーディは見るからに戦士とわかる出で立ちだった。
ラーク将軍の言う戦人(イナ・トゥース)とは、戦神トゥースの教えにある、戦いに生きる者を表す言葉だった。戦神の信仰があるムルトエの将軍らしい物言いだといえる。
しかし、戦神の力を手に入れたというケルケがいる以上、その信仰に意味があるのかと疑問に思う。
オーディは跪いたまま、将軍の顔を見上げる。その顔に感情はない。蔑(さげす)むような嫌な目だった。そしてオーディはゆっくりと首を振った。
「違う。武人(ハイヤー)だ」
オーディは短く答えた。それは義姉の教えだった。戦人(イナ・トゥース)ではなく武人(ハイヤー)として生きよ、と教えられていた。
ただ、オーディはその二者の違いをはっきりとは理解していなかった。共に戦いに身を置く者の目指すべき道であるのはわかっていたが、その本質の違いまでは、まだ十四の少年には実感が湧かないものだった。
しかし、オーディは反射的にキルビの教えに従っていた。
「はっはっはっはっ。その歳で武人(ハイヤー)か。これは滑稽」
それなのに将軍に一笑される。
突然だった。甲冑の軍勢が現れ、ただならぬ気配を放つ将軍を前に緊張していたオーディでさえ、その間は予期していなかった。
抜刀から斬撃までが異常に早い。むしろ気が付けば斬られていたと言った方が正確だろう。
気がつけば、冷笑していたはずのラーク将軍がオーディに斬りかかっていた。
何の予備動作もない斬撃。
出し抜けの一撃を受け、オーディの体が床に無様に崩れ落ちる。
その結果の有無など構まわずに将軍は残心を発し、振り下ろしたままの剣を構え続ける。
あまりに唐突で猛然とした斬撃に、誰一人動けなかった。
そしてその威力に味方である騎士達ですら震撼するしかない。
将軍が放った斬撃は、塔の硬い床すら果実を切るように鋭利に切り裂いていた。
それをやってのけた将軍の大剣は、刀身から橙色の光を帯びている。
ムルトエ軍で知らぬ者はない。ラーク将軍の持つ大剣はただの剣ではないのだ。
魔法使いと同様に、伝説とまで言われる魔力を帯びた武器が一つ、宝剣レディタンス。
将軍がいつ如何なる時に手に入れたのか誰も知らず、いつの間にかラーク将軍の歴戦と共に名声を得ていた魔剣である。